新潟県の「野球手帳」は、内容がすばらしいだけではない。実際の運用面でも類似の印刷物とは次元が違う。
山本は「野球手帳」ができあがると、新潟県内の関連する病院、クリニックの整形外科医に配布した。また、周知徹底するために、新聞などにも寄稿した。NYBOCも広報活動を行った。
こうした普及活動の結果、新潟県内の整形外科医は「野球手帳」の存在意義を理解するようになった。
病院、クリニックでは医師や理学療法士は子どもたちが持参した「野球手帳」を参考にして、その子の既往歴や練習内容を理解したうえで診察をするとともに診断結果や治療方針を記入し、指導者への連絡帳として活用され、より適切な治療を受けられるようになった。
新潟県の「野球手帳」が話題となって、他地方でも同様の「野球手帳」が発刊されるようになった。筆者の手元にもいくつかある。内容的にはどれも遜色ないが、新潟県ほどには活用されていない。
ほとんどの地域では「野球手帳」の存在意義を野球各団体が十分に理解していない。また各県内の病院、クリニックでの「流通」も不十分な場合が多い。端的に言えば「共有」されていないのだ。
新潟県の「野球手帳」は内容もさることながら、これを「共有し、活かしていこう」という大人たちの「志」が、優れていると言えるだろう。
「頼めば越後から米つきにも来る」新潟の県民性
「新潟青少年ベースボールフェスタ2019」で行われた野球肘検診でも、野球少年たちが傍らに置いた「野球手帳」を見ながら問診票に記入していた。ざっと見て7割程度の子どもが「野球手帳」を持参していた。
どうして新潟県の野球界だけが「一枚岩」になって「子どもの未来、野球の未来」を考えることができるのか、筆者にはわからない。その背景には「頼めば越後から米つきに来る」と言われる新潟の県民性があるのかもしれない。
筆者は「新潟青少年ベースボールフェスタ2019」の会場で、山本智章に話を聞いていたが、ここで検診をしていたスタッフが
「先生、1人説明お願いします」と山本を呼びに来た。
会場で行われていた野球肘検診で肘OCD(離断性骨軟骨炎)の疑いが強い選手がエコーで見つかったということだった。山本は子どもと保護者に説明をするために中座した。山本は現役の医師として今も野球少年を守り続けているのだ。
山本智章は、ここまでの取り組みを振り返り「この冊子を見ると選手の既往歴がわかるので、作った当初は『高校野球部のセレクションで不利になるのではないか』という声もありましたが、今は高校野球界もその存在意義を十分理解しています。この『野球手帳』は、医療サイドから野球少年に押し付けたものではなく、新潟県野球界の総意として生まれました。この冊子によって野球界と医療が本当につながったと思います」と語った。
「実は、私も高校球児でした。甲子園に憧れて『雲は湧き、光あふれて』という甲子園の歌は暗記するほど歌ったものです。
『野球手帳』の表紙には『肩肘の故障を予防して甲子園を目指そう』と書きました。すべては、今この多様な時代に野球を選んでくれた子どもたちが故障なく、存分に野球に打ち込んでほしいという思いを込めているのです。高校野球が自ら進めている改革を医療の立場から全力でサポートし、ともに行動していきます」
2月以降、新潟県下の少年野球各団体でも、さまざまな大会や催しが中止になっている。しかし遅い「球春」が始まれば、新潟県の青少年野球はまた先進的な歩みを始めることだろう。
(文中一部敬称略)
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