「1年前にはこんなことになるとは、考えもしなかった」
筆者は昨年12月、「新潟青少年ベースボールフェスタ2019」の取材をした。その会場である関係者は感慨深げに語った。
2018年12月、新潟県高野連の英断
1年前、新潟市朱鷺メッセで開催された「NIIGATA野球サミット2018」の会場で、新潟県高野連は翌春の新潟県大会での「100球の球数制限」の試験的導入を発表したのだ。
これは日本中の高校球界を震撼させた。
これに端を発して、日本高野連は「投手の障害予防に関する有識者会議」を招集し、昨年11月には「7日間で500球」の球数制限をはじめ、投手の健康を守るためのさまざまな方針を打ち出した。
「7日間で500球」は大甘な数字ではあるが、それでも腰が重いとされる日本高野連がわずか1年でここまで思い切った改革を打ち出したのは画期的なことではあった。
それもこれも、新潟県高野連の「12月の英断」があればこそだ。世間では、この新潟県の「球数制限」を、新潟県高野連が決定したものととらえている。しかし、それは正確ではない。確かに新潟県高野連の富樫信浩会長は、県内の指導者に対してその必要性を説いて回った。
しかし、今回の「球数制限」は、新潟県高野連単独の決定ではなく、新潟県の青少年野球団体、指導者の「総意」として導入が決められたのだ。
そこに至る経緯をたどると、ある小さな「冊子」が、決定的な役割を果たしていることが浮かび上がってくる。
その冊子の名は「野球手帳」。
A5サイズより小さい36ページほどの小冊子が、新潟県の野球界を一つにまとまらせ、野球の改革に向けて大きな力となったのだ。
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