「昭和の時代劇」悪役・アウトローの圧倒的魅力 1970年代のベスト3作品は何が面白かったか
例えば司馬遼太郎原作の「新選組血風録」(NET、主演・栗塚旭)は、セットが使えるのは映画撮影の合い間だけ。録音スタッフがつけられず、オールアフレコで収録されている。
有名な池田屋騒動は、建て替えが決まった料亭で撮影された。本物の狭い廊下や階段で襖や障子をぶち破って戦うのだから、リアルなのは当たり前だ。小学校から飛んで帰り、午後の再放送でこのモノクロ時代劇に見入った私は、春日八郎の行進曲のような主題歌『新選組の旗は行く』とともに、土方歳三の栗塚旭の男っぷりにもシビれた。
シビれた子どもは私だけではなかったらしく、後年大河ドラマ「新選組!」には、栗塚旭が土方歳三の盲目の兄の役で出演。1961年生まれの作者・三谷幸喜氏たっての希望だったという。
「新選組血風録」が、悲惨な戦争を体験し反骨精神にあふれた脚本家・結束信二、監督・河野寿一、プロデューサーの上月信二の3人が「下に見られるテレビですごいものを作ろう」と心血を注いだ作品だったと知ったのは、平成に入ってからのことであった。
そうした中で、いよいよ出てきた「木枯し紋次郎」もまた、アウトロー中のアウトローである。1972年正月。大きな破れ三度笠に、汚れた道中合羽を身に着けた長身の渡世人。つむじ風のように現れた紋次郎(中村敦夫)は、長い爪楊枝をくわえたままつぶやく「あっしには関わりのねぇこって……」の名ゼリフとともに、たちまちブームを巻き起こした。
さまざまな逸話が残る「木枯し紋次郎」
「木枯し紋次郎」にはさまざまな逸話が残る。市川崑監督による撮影が始まった直後、制作の大映が倒産、管財人により撮影所が閉鎖されてしまう。同作品はフリーになった元大映のスタッフが中心になって急遽立ち上げた制作会社「映像京都」が手がけることになった。なんとか再開したものの、はじめは小さな貸しスタジオでの撮影。給料がきちんと支払われる保証もない。先が見えない中で、最後の映画職人たちが生き残りをかけた作品だったのだ。
冒頭。孤独な紋次郎がひとり山道を歩く。市川監督はオープニングタイトルだけで、ドラマ3本分くらいの手間をかけた。他のスタッフも斬新なシーンのためにアイデアを出し合う。ゲストにも荒木一郎、原田芳雄ら曲者が揃う。これで面白くないわけがない。放送当時の私は裏事情など知る由もなかったが、人と関わりたくないのに裏切られ、陥れられ、人を斬ることになる紋次郎を見ながら、「世の中って怖い」と衝撃を受けた。そして、カッコいいと思った。その気持ちは今も変わっていない。
映像京都は2010年の解散まで、「鬼平犯科帳」「御家人斬九郎」「剣客商売」と昭和、平成を代表する時代劇を手がけることになる。
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