「このときばかりは母は“大丈夫?”と声をかけてくれましたが、本当に私のことを気遣っての言葉だったのかは疑問です」
もはや机に倒れ込むような状態でなんとか鉛筆を動かした。結果は全落ち。最後の合格発表の後、「プレッシャーに弱い子なのね」という言葉を残し、寝込んだのはひろみさんではなく母親の利美さんだった。すべての学校に落ちたのはひろみさんだ。ひろみさんは自信をすべて失い、傷ついていた。またしても、理解者でいてほしかった母親からは何も理解されぬままという状況となってしまう。
「なんでお母さんが寝込むの?と思ってしまいました。でも、やっぱりどこかの私立に入れたかったようで、私は地元の公立でもいいと思ったのですが、姉の行っている学校の申し込みがまだ間に合うからと急遽受験をすることになったんです」
試験は翌日。だが、この学校の対策は一度もやったことがない。声をかけてくれたのは姉だった。「過去問、わからないところがあったら言いな。教えてあげるから」。リビングのテーブルに過去問を広げ、大慌ての試験対策が始まった。
いつもは何も口を出さなかった父親も、このときばかりは応援してくれたという。「3人で頭を突き合わせて頑張ったこと、今もよく覚えています」。綱渡りのような状況だったが結果は合格。だが、幸せになれたかと言えば違ったようだ。
「学校の雰囲気が合いませんでした。女子校特有の派閥みたいなものがあって、力のある子に目をつけられたら、みんなから無視される。そんなことやめたいと思っても、逆らうことなんてできないという空気。校則も厳しくて、毎朝先生が門に立って、スカート丈や髪のことなど、事細かに注意してくるのも嫌でした。息苦しさを覚えたんです」
通学距離も遠く、朝6時半には家を出る毎日。当初は部活も入っていたが、部活をすると帰宅は午後8時半を回る。「疲れて辞めてしまいました」。
中高一貫校を出て、高校受験することを決断
同じ学校に通った姉は6年間をここで過ごしたのだが、ひろみさんは高校で出ることを選択した。だが、私立一貫校からの高校受験対策は個人でするには難しい部分もある。ひろみさんは高校受験に向けて中学3年生の夏前あたりに河合塾に入塾した。
塾で言われたのは私立の場合、授業進度も違うため、内申書の成績のカウントのされ方が公立とは異なるということだった。そのため、内申書よりも当日のテストの成績を重く見てくれる学校を探したのだと話す。
通学圏内にある私立と、共学の都立を受験。エリア3番手くらいの都立高校に合格することができた。
「私の周りには中高一貫の私立から高校で出る人はいなかったので、はじめはコンプレックスでした。でも、出てみたら、自分はなんて狭い世界の中で生きてきたのかと思いました。いろいろな家庭環境、価値観の子がいて、進路もいろいろで、専門学校に行く子も多かった。そういう多様な仲間といるのが楽しくて仕方がありませんでした」
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