24時間営業廃止がファミレスから始まった必然 コンビニなどへ直ちに波及する流れでもない

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それで当時20代だった私のような若者が深夜時間をつぶすとした場合、集まりやすくて人気なのは圧倒的にファミレスだったわけです。都心なら他にボウリング場とディスコ、郊外なら友人の家に集まって徹夜麻雀。それ以外は深夜に出かける場所などない。携帯もないのであとは家にいて中島みゆきのオールナイトニッポンでも聞く以外に時間のつぶし方はなかったのです。

そしてボウリング場は体力的に、ディスコは警察の指導で、麻雀はファミコンに娯楽の主役を奪われるという流れでそれぞれ廃れ、深夜の居所の王様として最後まで残っていたのがファミレスだったというのがこの当時の深夜についてのおおまかな流れです。

一方で1990年代から2000年頃になると深夜に行動する日本人は急増していきました。1980年頃と比較するとコンビニやカラオケボックス、居酒屋、ドン・キホーテなど深夜に出かけられる場所が当たり前のように増えたことで、それまで社会制度的に抑え込まれていた「深夜でも活動したい日もある」という人間のニーズがこの時代に一気に表面化したわけです。

私も経験がありますがこの時代、コンサルティングファームの下っ端同士で上司が帰ったオフィスで深夜0時ころまで「ああでもない、こうでもない」とデータと格闘していてだんだん頭が倦んでくると、お互い別のプロジェクト担当なのですが「ファミレスに行こうか?」という話になったわけです。

ファミレスがあったからやっていけた面も

「なんで俺たちだけこんな時間まで働かなきゃいけないんだ」という同じ悩みを抱えた20代コンサル3~4人でタクシーに乗って東陽町あたりのファミレスに行って、そこで午前3時くらいまでストレスを発散して、そのあとタクシーで自宅に戻る。考えてみればファミレスがあったからやってられない仕事もやっていけたのかもしれません。

深夜のファミレスには結構さまざまなお客さんがいたものです。なぜか記憶に残っているのが接待の反省会とおぼしきメーカーの営業マン3人組。たぶん1次会が高級料理店で2次会が銀座のクラブ。そこで接待相手にタクシー券を渡して見送って、深夜1時に私たちと同じ東陽町のファミレスに3人でたどり着いてそこで隣の席の私たちにも詳細な状況がすべて筒抜けで耳に入るぐらい綿密で熱の入った反省会を行っていたわけです。1990年代中盤の話です。

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