ところは山陰。山を挟んだ二つの寒村の間で争いごとが勃発した。県道をどちらの村に敷くか、お互いに譲らぬ熾烈な争いになってしまったのだ。
しかしそのさなか、一方の村の村長である九里真五郎が突如、行方不明となる。もう一方の村のボス達が真五郎を殺し、村のトンネルに塗りこめてしまったのである。そして結局真五郎の村には県道が来ず、村は廃村寸前に追い込まれる。父が殺されたことを知り、復讐に燃える真五郎の息子・九里魔五郎は、「ある秘術」を体得した上、父殺しに加わった、敵対する村のボス達とその係累を次々に血祭りに上げていく。
中身はメチャメチャ
とまあ、この基本プロットだけ見るなら、江戸川乱歩の通俗長編にありそうな、ありがち復讐譚に過ぎない。確かに大枠はそうなのだが、栗田信の「荒唐無稽な想いがどんどん先行するも、説得力が全く伴わない」というあり方がノンストップで炸裂しまくり、結果的には大衆文学史上の「神話」といえるくらい、とんでもない作品に仕上がってしまっている。
魔五郎が体得した「ある秘術」とは、アルコール分をちょっとなめただけで、無限の力(体が何倍にも膨張し空中浮遊しコンクリートの壁をぶち破るほどの強壮なパワーを持つ、「こけつかきつきつ」とヘンテコな鳴き声を発する、など)が得られてしまうというインドの「ヨギ秘術」である。
ノコノコ警視庁に現れた魔五郎が、屈強な警官たちに取り押さえられながらも、床にこぼれたウイスキーをひとなめした途端、巨大に膨れ上がって警視庁の厚い壁をぶち破り、ものすごい捨てセリフを残して逃げていく。
「馬鹿モン!膨張係数の増加に比例して浮力が増大することは、小学生だって知っているぜ!ウハハハハ」
こうして、ふうわり、ふうわりと空中に逃走するシーンは、世界大衆文学史上最珍場面の一つと断言できる。
困ったことに、ストーリーのキモともいえるこの設定からして、全然説得力がない。非常にいい加減な似非科学的解説を、自信がないせいか中途半端にそそくさと切り上げてしまっているからである。
どんなインチキでもハッタリでも「お前ら信じろ!!」という気合があると、同じ荒唐無稽なものであっても、何となく丸め込まれてしまい、逆に騙されることが快感にすらなってくる。しかし『醗酵人間』の場合、広げた風呂敷は大きいのだが、そのまま押し切るパワーが欠けているので「なんだこりゃ?」となってしまうのだ。
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