20代で母が認知症と診断された女性の壮絶人生 仕事から帰ると毎晩母の食事の介助をした

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2013年。父が脳出血で倒れた。73歳だった。父が倒れた段階で、母は特別養護老人ホームに入所。仕事と両親の介護の両立は、1人では不可能だと考えたからだ。以前から申し込んでいた施設に事情を話したところ、運よく空きがあり、快く受け入れてもらえた。

「2つの特養に申し込んでいて、1つのところは2回ほど空きが出たのですが、職員さんの対応が気になっていたことと、私が母ともう少し一緒にいたいと思ったことから断ってしまいました。父は『それならもう少し家で見ようか』と言ってくれましたが、その頃よく、『体がしんどい』『このままだと俺に何かあったらいけない』とこぼしていて、今思うと限界だったのかもしれません」

父は一命をとりとめたが、右半身に麻痺が残った。

34歳のとき、妊娠が発覚

妊娠が発覚したのは、藤本さんが34歳のときのこと。藤本さんは同じ会社の同僚と交際していた。

「両親のことを背負って生きる覚悟みたいなものを決めていたので、『結婚なんてしていいのかな』『私が家を出たら、父は大丈夫かな』と悩みました。でも、『父にウェディングドレス姿を見せたい』という思いもあって……。結局、あの時結婚して娘を産んで、よかったと思っています」

2014年に娘を出産し、父の希望により、実家から車ですぐの場所に新居を構える。

父は退院して家に戻ったが、右半身の麻痺で料理ができない。そこで、父が『きょうの料理』を見て食べたいものを決めると、藤本さんが土曜日に必要な材料を買いそろえ、その材料でヘルパーさんに作り置きをしておいてもらうことに。

そして藤本さんは、産休・育休を経て、娘が1歳になる年に仕事に復帰。

「復帰したばかりの頃は、新しい仕事を任されたこともあり、正直きつかったです。父はメモができないからと言って、早朝だろうが勤務中だろうがお構いなしに電話してきましたし、娘はすぐに熱を出すし……。この頃は毎日が忙しすぎて、自分の記憶はほとんどありません」

夫は料理以外の家事・育児はやってくれる。産後間もない頃、母の通院に付き添いが必要なときも、仕事を休んで娘を預かってくれた。

「夫は子育てには協力的だし、両親の介護にも理解があると思います。出産前、『祖父母が近くにいて、子育てのサポートが受けられる家が多いけど、うちはないからね。私は両親に何かあったら行かなきゃならないから、この子のことよろしくね』ってよく話したんです」

そして2015年、母が水頭症で入院。水頭症は脳に水がたまって脳を圧迫するため、認知症の原因かもしれないと言われたが、手術をしても認知症の症状はよくならなかった。

一方父は、自宅で転んで起き上がれないことや、体調が悪い日が増えていく。藤本さんは、仕事が終わって娘を迎えに行った後や、娘を寝かしつけた後に実家に行き、父の世話をすることが多くなっていった。

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