20代で母が認知症と診断された女性の壮絶人生 仕事から帰ると毎晩母の食事の介助をした

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母が認知症と診断されてからは、食事の支度は父の担当に。以前は自分で使った食器も片付けない人だったが、NHKの「今日の料理」を欠かさず見、本も定期購読。どんどん料理を覚えていった。ところが、なぜか母はそれが気に入らない。「夫婦なんてしょせん他人よ。お父さんが作ったものなんて食べない」と言って外へ飛び出していってしまう。

「ヘルパーさんや私にはいいのに、父に対してはいつも不機嫌で、カレーを食べるスプーンとお皿のぶつかる音が嫌だとか、いろいろ文句をつけて外に飛び出しては、コンビニでおにぎりを買って食べていました。もしかしたら、子育てで忙しかったときに父が手伝ってくれなかったとか、若い頃から積もり積もった嫌な記憶や恨みつらみが、認知症になったことで抑えられなくなったのかもしれません」

基本的に、日中は父。夜、仕事から帰宅した後は、藤本さんが母の世話をした。

「『いきなり変なこと聞くようだけど、あんたの親って誰だっけ?』と言われたときはショックでした。ずっと名前は呼んでくれていましたが、だんだん言葉が出てこなくなり、2008年頃にはトイレができなくなりました」

食事はできるが、三角食べはできない。2~3歳の子どもに食べさせるように、「次はこれを食べようね」と声をかけながら、おかずを御飯の上にのせてあげた。汁物はこぼしてしまうので、お椀を手で支えて、口に運んであげなければならない。毎晩帰宅してから、2時間ほどかけて食べさせていた。

娘の誕生日もわからなかった

「29歳の私の誕生日に、ふと『今日何の日か知ってる?』って聞いたんです。でも母は、『知らない、わかんない』。『お母さんが私を産んだ日だよ』と言ってもわからないようで……。忘れちゃったんだって思うと寂しいですが、『受け入れるしかない、自分が覚えていればいい』って思うようにしました」

夜中にトイレで起こされるのは日常茶飯事。藤本さんは仕事との両立でクタクタだった。

「20代後半って、周囲は結婚・出産ラッシュ。私がちょっと介護がつらいと言えば、『子育てだって大変だよ』と返されて、やるせない気持ちになりました。父には夜は休んでほしくて、私が頑張らなきゃと思ってたんですが、睡眠不足と理解者がいない寂しさから、母につい当たってしまったこともありましたし、思い詰めて、精神的に病んでしまったこともありました」

母の介護があるため、会社の飲み会は断ることが多かったが、数回参加したことがある。深夜に藤本さんが帰宅すると、父が母に怒鳴る声が家の外まで響いていて、一気に酔いが覚めた。父に怒られて家を飛び出した母が帰ってこないので探しに行ったところ、数駅先にある自分の実家へ帰ろうとして迷子になっていたこともあり、「父1人に抱えさせてはダメだ。私はなるべく家にいなくちゃ」と思った。

やがて藤本さんは、インターネット上に同じような経験をしている人を見つけ、悩みを相談し合うように。その頃始めたブログは、大切な心の拠り所となった。

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