20代で母が認知症と診断された女性の壮絶人生 仕事から帰ると毎晩母の食事の介助をした

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治療開始時の妻の年齢が40歳以上43歳未満の場合、通算3回まで助成金が降りるため、3回までは挑戦するつもりだ。

「父が亡くなった年は、1年で60日休みました。居づらくなる雰囲気もなく、理解のある会社で感謝しています」

不妊治療の通院が加わり、相変わらず有給休暇の消費は激しい。母のところへは、イベントや通院付き添いなどで1~2カ月に1回ほど行っている。

「母に会うと、どうしても両親が元気だった頃を思い出してしんみりしてしまうんですが、そんなとき娘に『大人なのに何でいつまでもクヨクヨ言ってるの? もういいでしょ、お母さんなんだからしっかりしてよ!』と言われるんですよ」

娘は生きる希望

介護や仕事でつらいとき、娘が心の支えになった。

「逃げ出したくなったときはいつも、妊娠がわかって悩んだときの決意を思い出しました。娘は生きる希望です。『この子を守らなきゃ』と思うと強くなれました。ずっと両親優先で、自分を二の次に考えていたけれど、妊娠は自分の人生を後悔しないよう、ちゃんと考えるきっかけになりました」

実家はまだ父が暮らしていたときのままになっており、時々様子を見に行く。

「親に子育てを手伝ってもらうことはできなかったけれど、なかなかできない経験が若いうちにできて、親に勉強させてもらったと思っています。いろいろな人に、『親は先に亡くなるものだから、親の介護を優先してたら、亡くなったときの喪失感が大きくなるよ』と言われますが、子育てだって同じ。私の場合は両方あるので、どちらにものめり込みすぎずに済むと思うんです」

そんな藤本さんに、将来の夢を聞いた。

「私の場合、20代で母の介護が始まったので、独身生活を謳歌する暇もありませんでした。だからその分、シニアライフを楽しみたいですね。私も夫も車が好きなので、2人乗りのオープンカーでドライブ旅行とか憧れます」

子どもが手を離れた後のことを考えるなら、2人目を考えるのは矛盾しているかもしれないが、「授からなかったら授からなかったときで、そんな将来もいいなと思います」と笑った。

旦木 瑞穂 ライター・グラフィックデザイナー

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たんぎ みずほ / Mizuho Tangi

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する記事の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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