20代で母が認知症と診断された女性の壮絶人生 仕事から帰ると毎晩母の食事の介助をした

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2016年秋、父が腸閉塞で入院。

ほぼ同じタイミングで娘が胃腸炎になる。娘の看病は夫の協力を得た。

父はしばらく絶食し、症状が改善したので退院。自宅で様子を見ていたが、約2週間後に再発。運の悪いことに、吐いたものが肺に入り、誤嚥性肺炎を併発してしまう。前回の入院で絶食し、抵抗力が弱まっていた父は、すぐに危篤状態に陥った。

ちょうどその頃、夫は体調を崩して寝込んでいたため、娘を預けられない。仕方がないので、父の主治医の話を子連れで聞いた。夜9時を過ぎていて、娘は背中で眠っていた。

「会わせたい人がいたら呼んでください」と言われたが、母はもう父のことがわからない。母を呼びに行っているうちに父に何かあったら……と思うと、父のそばを離れられなかった。

「夫婦のあり方を考えさせられました。定年してせっかく夫婦で過ごす時間ができたと思ったら、妻が認知症……。夫婦で老後を元気に過ごさせてあげたかったと思いました」

多忙と心労が重なり、藤本さんも体調を崩していた。何度か吐いたし、意識も朦朧としていたが、「親戚も来る。対応しなきゃ」と気が張っていたのか、何とか葬儀までやり遂げた。

「結婚後も同居していれば、父はもっと長生きできたかもしれないと後悔しています。でも、少しでも離れることで、私は自分の生活とのメリハリがつけられた。どちらがよかったのか、答えは出ません」

肺炎になった父は、酸素不足のためチアノーゼに。苦しさのあまり激しく悶えてベッドから降りようとするところを、看護師や兄たちみんなで押さえた。心拍や脈拍を計測する機器の電子音が耳に残り、以降、銀行やコンビニのATMの音を聞くと、つらくなって耳を覆った。

「私はお酒が好きだったのですが、両親に何かあるといけないからと思ってずっと飲めずにいました。その反動なのか、父が亡くなった後、眠れなくてお酒を飲むように……。気がついたら明け方で、仮眠をとってまた仕事に行く、という毎日を過ごしていました」

39歳で不妊治療を開始

父の一周忌が終わった2018年、藤本さんは2人目を考え始めた。

「父が亡くなって半年ほど過ぎた頃、少しずつ周囲に目を向けられるようになって、気づいたら39歳。保育園のママ友はいつの間にか下の子を産んでいて、よく考えたら娘の卒乳もトイレトレーニングもできていなくて、何やってたんだろう私……と思いました」

藤本さんは不妊治療を開始。1回目の体外受精は失敗に終わった。

「親の介護をしてみて、つくづく両親の老後を1人で背負うのはきついなと……。父が危篤になったとき、病院や葬儀の手続き、親戚への連絡、通夜葬儀の喪主やお金のことなど、やらなきゃならないことがたくさんあって、兄がいてよかったと思ったんです」

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