展示品の説明も、「沖縄 壺」「益子焼 皿」といった具合に至極簡潔。「展示物を邪魔しない」「知識を前提にものを見ない」ために、柳が考案して、このような形になったという。柳は、この展示ケースと室内の建具に最もこだわり、総工費10万円の半額の予算を割いている。
展示されている民藝品はいずれも由緒ある高価なものに見えるが、日本民藝館ができた当時は、生活の中で実用品として使われているだけのもので、世間一般では、収集したり展示したりするような価値のあるものとは考えられていなかった。それらに美を見いだし「民藝」という呼び名を与え、多くの人に知らしめたのが、柳宗悦という人の功績なのだ。
柳宗悦邸は2006年から公開
日本民藝館本館向かいの柳宗悦邸は、2006年から公開されている。1961年に柳が72歳で亡くなった後も家族が居住し、夫人の兼子が1984年に亡くなった後はそのままの状態で保存されていた。
前面の長屋門の内部は声楽家であった兼子のピアノ室や応接室に改築され、その背後に建てられた2階建ての建物には、5つの和室と子ども室、洋間の食堂、書斎がある。便所が4カ所、階段が2つあるのは、つねに来客の多い家だったからだという。
この家の食堂で家族が食卓を囲む写真が残っているが、日本の古民家風の部屋にイギリス風のテーブルが置かれており、その後の日本で広まった和洋折衷のインテリアが、昭和初期、この家ですでに実現していたことに驚く。
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