柳宗悦について調べていると、その周辺には次々と興味深い人物が現れてくることにも感心する。
柳は、学習院の同窓生たちを中心とした同人誌『白樺』の同人で熱心な投稿者であったが、そこでの友人には志賀直哉、武者小路実篤といったのちに著名になった作家たちがいる。「民藝」を見出し、民藝運動をともに進めたのは、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチといった陶芸家の友人たちだった。
大恋愛の末の結婚
また、柳の母の弟は講道館柔道の創始者として知られる嘉納治五郎だという。嘉納の別荘が千葉県我孫子にあって、そこを以前からたびたび訪ねていた地縁があり、新婚時代の柳は我孫子に住んでいた。
そして、柳の妻の兼子は、東京音楽学校を卒業した声楽家で、大正時代においてはめずらしく、柳との大恋愛の末に結婚している。その間に生まれた長男・柳宗理は日本を代表するプロダクトデザイナー。次男の宗玄は美術史家。三男の宗民は園芸研究家でNHKテレビの「趣味の園芸」の講師としても人気を集めた。長男の柳宗理は、宗悦の没後、濱田庄司を継いで日本民藝館の3代目館長も務めている。
今では民藝品を生活に取り入れたインテリアやライフスタイルはあらゆる場所に見られる。最近激増している訪日観光客にも、日本各地の民藝品は人気のみやげ品になっている。また、日本民藝館への来館者も、近年外国人観光客が増えているという。
現在は多くの人に親しまれている「民藝」の、生活感のあるあたたかい味わい。その背景には、柳宗悦という人の思想と審美眼と大いなる実行力があったことが、この日本民藝館で理解できるだろう。
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