1933年、最初にこの建物が建てられた当時は、このエレベーターの辺りまでしか建物の奥行きはなく、これより奥は、戦後、村野藤吾によって増築された。
その村野によるデザインの見どころといえば、館内の3カ所にある階段。そして外壁にガラスブロックを使用したモダンで繊細な外観。また、照明や壁面装飾などに独自の美意識を発揮したデザインを施しているところだろう。
4年間飼育されていた
屋上には、1950(昭和25)年から4年間ここで飼育されていたタイからやってきた象の高子ちゃんをモチーフにした村野デザインの機械室があり、戦後の子どもたちの人気者だった子象の思い出を今に伝えている。
高子ちゃんは、やがて屋上で飼育するには大きくなりすぎてしまい、1954(昭和29)年に上野動物園に移管されることになる。
来日したときにはクレーンで屋上に運ばれた子象は、大きく育ってクレーンで下ろすことは不可能だったため、村野によって増築された中央階段を一歩一歩、8階から1階まで下りたのだという。
村野は“階段の魔術師”と言われ、幾多の優美な階段のデザインを残している。このエピソードを知って、象の下りた階段を歩むと、その光景が思い浮かぶようだ。
この中央階段以外の南側、北側の階段にも細かなデザインや、手すりの溶接の技術などさまざまなこだわりが見られる。
それぞれの階段の段差が低く、踏み面の幅が広めなのは、和服を着たご婦人が上り下りしても裾が乱れないための配慮なのだとか。
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