留学するなら、2年間がちょうど良い《若手記者・スタンフォード留学記28》
冬学期も9週目に差し掛かり(1学期は10週間)、2年間の留学生活もその6分の5が終わろうとしています。
このところ、いろんな人から「あと3カ月余りで、アメリカを離れるのはさびしいでしょ」と声を掛けられるのですが、私はいつも「もうアメリカ生活はお腹一杯。正直なところ、明日にでも日本に帰国したいんですよ」と答えています。
私は別にアメリカ嫌いでも、ホームシックにもかかっているわけでもありません。しかしながら、留学生活は2年で充分だな、と痛感する今日この頃です。
今回は、なぜ留学は1年間でも3年間でもなく、2年間がちょうど良いのかという理由を、独断と偏見でつづってみたいと思います。
バランスの良い愛国心
まずひとつ目に、2年間あれば、物事をある程度落ち着いて見られるようになります。
たとえば、この留学記を留学1年目から書き始めていたら、今となっては、自分の浅はかさに赤面するようなことを、書き連ねていたことでしょう。
人間は、言葉と文化の違うところで暮らすと、最初の内は、ささいなことに過剰反応してしまいがちです。一人のアメリカ人に冷たくされただけで、アメリカ人全体の文句を言ったり、逆に一人のナイスガイに会っただけで、アメリカ礼賛になったりと。
しかし、2年目ともなると、出会った人間の「サンプル」数が増えるので、より冷静に物事を眺められるようになります。当初は笑顔が素敵でフレンドリーだと感じていたアメリカ人の友人の一人が、長く付き合うと、実は表面的で底が浅いことに気づいたりとか(笑)。
”2年間”の重要性を感じる一つの例が、愛国心の表現法です。
1年目はどうしても、自分が日本人であることを過剰に意識しがちで、私も、歴史論争になると、つい感情的になってしまうことがありました。
あるアメリカ人の教授が、日中韓の教科書問題について講義をしたときのこと。彼が、中立を装いながらも、いろんな写真を交えて、(軍が組織的に関与した強制連行を含めて)従軍慰安婦問題があたかも確定した事実かのように説いたことがありました。欧米人の学生は、従軍慰安婦問題なんて知らない人がほとんどですから、いきなりこんな話を聞いたら、「日本人はなんてひどい奴ら」なんだという先入観を持ちかねません。
カッと憤慨した私は、講義の後に教授に詰め寄って「日本軍が組織的に強制連行を命令したことを裏付ける歴史的な文書はないのに、なぜ軍の組織的強制連行を事実と言い切れるのか」と激論を交わしました(周りの学生はひいていましたが)。