──佐古さんが書かれた『「米軍が恐れた不屈の男」瀬長亀次郎の生涯』(講談社)の中に、瀬長さんが家では率先して洗濯されているという逸話がありました。昔の男は台所にも立たないものなのに、彼は、妻が商店に立っているのは大変だというので、率先して主夫的なこともしていたんですね。
そうなんです。その逸話はテレビでスピンオフ的なものをつくったときに1回入れたと思うんです。「おーい、洗濯物ないかぁ」という声が、千尋さんは耳に残っていると言うんですね。シーツとかは金ダライにつけて足で踏んでいて、千尋さんは「洗濯は、お父さんの仕事だった」という。それで1970年の国政選挙で、亀次郎さんが当選して東京に行くことになったとき瀬長家に初めて洗濯機が来たと話されていましたね(笑)。
ドキュメンタリーで監督は目立ってはいけない
──父親の代役に洗濯機が導入されたということですか。面白いですね。
男女平等を実践した父親の姿が、千尋さんの中ではいちばん尊敬できると言われていました。とくにあの時代だけに余計に進歩的だったんですよね。
だからこそ、妻が選挙に出ることになったときには、就寝前に蚊帳の中で政治談議をしたりする。日記に、「フミ、演説どうなるかと思ったが、はじめてにしては憲法の話などするのはなかなかいい」と書いてあったりして、何十年もして他人がこんなにじっくり読むなんて思わなかったでしょうけど、驚くほどに物語が詰まっているんですよね。
──なるほど。伺うほど洗濯の話、映画に入れておいてほしかったですね。
そうですね。言われて、今そう思いました(笑)。でも、エピソードは豊富で、ほんとうに入りきらないくらいあるんですよ。一緒に映画の舞台挨拶をさせていただいたときに千尋さんから、「映画の1本や2本で収まる人じゃないんです」と言われて、「えっ、3本目をつくれということですか?」と返しましたが(笑)。
──最後に1つ、佐古さんのドキュメンタリーの手法なんですが、自分を出すということはないですよね。一瞬だけ、1作目のところで、聞き手としてやり取りされている声があるくらいで。ストイックさを感じました。
私がテレビに出ていた存在でもあるし、出たほうがいいという意見もいただきました。ただ、ナレーションも含めて出るという気はまったくなかったですね。むしろ、なるべく存在を消したい。なぜかと言われると、主でないものは出ていくべきではないから。
──ドキュメンタリーの監督によっては、姿や声を出すことで臨場感を演出される人もいます。そういう意味では、すごくオーソドックスで好感をもちました。それともう1つ。アメリカの公文書を探し出して場面の中に入れてくるなど、調査報道としての仕事をされているなと思いました。
ありがとうございます。私は、とにかく目立っちゃいかんと思っています。これはカメジローであり、沖縄であり、それにまつわる証言者たちが紡いでくれる作品だと思っていますから――。
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