──たしか日記は230冊もあったんですよね。膨大なその日記をまた読み返されたんですか。
ええ、ぜんぶ読みました(笑)。
──映画の中で、その日記の文字がふんだんに映されています。肉筆ならではの迫力とともに、解読不明な文字が多い。それをぜんぶ読むというのは、大変な作業だったのではないでしょうか。
読めない字もあるんですが、だんだん法則がわかってくるんですね。文字というのは情報が詰まっていて、日記は刑務所に入ったところから始まります。
沖縄の戦後史が詰まったカメジローの日記
──瀬長さんが人をかくまったという罪で米軍の指図で捕らわれの身となる。那覇市長となる前の話ですね。
そうです。獄中日記は5冊あって、1文字1文字、きちんと書いてある。しかし、出獄後の米軍との闘いでは、これが走り書きになっていく。獄中と外では時の流れがまったく違う。読んでいると、どんどんハマるんですよ。
例えば、米軍機の墜落事故は何回も繰り返されているんですが、1962年12月20日の日記には、亀次郎自身が現場に行き、飛行機の翼に触れている。今だと近寄ることすらできないでしょうけど、「これで3度目だ。事故の度に謝罪をする。口先だけだ」と書いてある。そして、被害者が運ばれた病院にも行く。今も何かあれば米軍は謝りますが、その姿とダブるんですよね。
──50年以上経っても、何も変わらないということですね。
次女の千尋さんが「わたしは、ここには沖縄の戦後史が詰まっていると思って読んでいたんだけど、わたしだけが読んでいたんじゃいけない」と話され、日記は抜粋して本にもなったりしています。ただ、家族に関する部分は千尋さんも記憶にないところがあって、今回そこをあえて紹介させてもらうと逆に面白がってもらえたんですね。
例えば、家にテレビない時代に、「いつテレビが来るの」と娘に問われ困ってしまう逸話を映画で紹介していますが、ほかにも長女が家出して慌てたり、「妻フミと大喧嘩」とだけ書いてあったりする(笑)。
そうした家庭でのカメジローや、生い立ちから「不屈の男」となっていくまでを捉え返したいと思ったんですね。ただ、2作目から見てもらう人にもカメジローを理解してもらうために、前段の部分は多少かぶるところはあり、そこは違うエピソードを交えるなど、悩み時間をかけたところですね。
──細かいことですが、230冊となるとかなりの量だと思うんですが、日記をお借りして読まれたんですか。
沖縄の千尋さんの作業部屋に通い、そこを占領して読んでいました。ほかの取材も兼ねたりしながら、3~4カ月はそういうことを繰り返し、それから撮影に入る。けっこうキツかったですね(笑)。
──そこまでするというのはなぜでしょうか。
読み落としているものがあって、後になって「いい話があったのに」となるのが嫌だった(笑)。それでも入りきらなかったものはいっぱいあるんですよね。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら