米軍が恐れた「カメジロー」を再び題材にした訳 佐古忠彦監督が瀬長亀次郎を通して見た沖縄

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──迫力がありました。

流暢ではないかもしれないですが、祖国復帰にかけてきた沖縄の人たちの気持ちを代弁するもので、佐藤総理もタジタジとなりながらも、自分の言葉で答えていました。今の国会は、後ろの席の官僚から渡されたメモを見ながら話す政治家が多いですが、総理は1回も目を落とさず相手の目を見て、正面から答えようとしている。2人の姿勢は、今とはずいぶん違って見えますよね。50年前の国会には、言葉でぶつかり合う姿があったんだなぁと、私も新鮮な思いで見返していました。

作品では、沖縄返還をめぐる瀬長亀次郎の国会論戦の場面に長い時間を割いている ©TBSテレビ

──前作にも質疑場面はありますが、ごく短いものでした。

そうなんです。前作では3分くらいにまとめて紹介したんですが、「あそこは印象に残った」といった感想が多かったので、今回こうしてたっぷり入れられてよかったと思っています。

──カメジローの2作目をつくろうとされたのは、そういうこともあってなんですか。

そこがいちばんの理由というわけではないのですが、 (今回の映画の終盤に)あの討論をぜひとも入れなければと思いました。亀次郎が佐藤総理に向かって「水源地も、とられておる!」と一言いう。あの一言には、映画の前半で紹介していますが、亀次郎が那覇市長となったときに水不足で断水になった。背景には水源を米軍が押さえ、亀次郎を追い出すため給水制限さえ行ったことを指している。

再び戦場となることを拒否する!

──観客にとって、あのとき水で困らせられたことがあったと思い出させるものですね。

そうです。そして亀次郎が「この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する! 基地となることを拒否する!」と言う。その原点が何だったのか。冒頭、亀次郎さんの日記にあった、「無残に殺された仲間たちの魂に報いる道は何か」という言葉を入れているのですが、亀次郎さんとって、戦争を憎むというのは、戦争で死んでいった同胞に報いる道。あの討論の中で、彼は写真を手にして自身の体験を語りだします。

遺骨を納める際、最初は軍靴やヘルメットと遺骨を選り分けていた。けれどもリヤカーで山となって運ばれてくるに及んでは、それもできなくなる。そうした沖縄戦直後の風景が見えてくる。戦後史そのものが詰まっているような追及だと思えたんです。

──国会での論戦が終わったあと佐藤総理が瀬長さんに近寄り、声をかける場面があります。瀬長さんには沖縄について綴った本があり、「瀬長くん、あの本、貸してくれんかね」と呼びかける。佐藤首相にしても、それぐらい胸打たれたということだったのでしょうか。「あげますよ」と瀬長さんが答える。面白い光景に見えました。

実は後日談があって、実際に佐藤総理は読まれているようなんです。というのも、数日後に国会内のエレベーターで2人が会っている。佐藤総理が「いやあ、瀬長くん。あの本、読んでいるよ。本当に大変な苦労があったんだなぁ」と言ったらしい。そこで亀次郎は「そうだよ、アンタたちが僕たち沖縄を切り捨てたからだよ」と言ったんですね。

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