乳がんを告知された看護師が絵本を作った理由 生きて「付き合っていく病気」との日々は…

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自分の経験が仕事で生かせると思うとありがたかったですね、と彼女はホッとした表情を見せた。一方でえほんプロジェクトは、看護師の仕事以外で初めて出会った、楽しい取り組みだと語った。

「がんになったからこそできること」

「魅力は人ですね。皆さんが治療の後遺症や、抗がん剤の副作用に悩まれているはずですが、会議などでは病気の話はほとんどしません。それぞれが家庭や仕事を持ちながら、自分たちができることを社会に発信しようとしています」

嶋田の場合、乳がんの再発を防ぐために、女性ホルモンの分泌を抑える錠剤を服用中。副作用は、うつや更年期障害に似た症状が出たり、肌も乾燥しやすくなったりする。毎朝起きると、痛くて動かない関節などを、時間をかけてストレッチするのが日課だ。

現在、腫瘍マーカー(腫瘍が一定量増大すると、血液中に増える特殊なタンパク質などのこと)は正常値に近く、安定している。だが、乳がんは手術後も厄介な面がある。がんの再発リスクは術後5年が目安とされているが、乳がんは一般的に10年後まで再発する危険性があるからだ。

一方で、キャンサーペアレンツが共有するテーマは、「がんになったからこそできること」。それを今、嶋田は部分的に実践できている。1人でふさぎ込む時期を経て、まずは同じ病気の仲間を求めて、さらには素人による絵本づくりという、かなり無謀な行動を起こして手に入れたものだ。

夫との関係もずいぶん変わった。冒頭でも書いたように、当初は夫の言動にいら立っていた嶋田だったが、今は反省している。医療者でありながら、家族も「第2の患者」という視点を持つ余裕がなかったからだ。

「がん医療に素人だった夫の立場で考えれば、有名人の会見に強く共感するのも、がん関連本をまとめ買いするのも当たり前でした。妻が自分より先に死ぬかもしれないという恐怖心も、相当強かったはずですし……」

その後、夫が恐怖心をまぎらすために見つけた居場所が教会でした、と彼女は続けた。

「彼の選択に、人としての善良さを再認識させられました。最近では教会のバザーにも積極的に参加するなど、自宅と会社以外の新たな居場所にしているようです。今回の件で私の嫌な部分を含めて、自分の地をさらけ出せる相手として、夫への感謝の気持ちが改めて膨らみました」

嶋田は伏し目がちにそう明かした。

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だが、気恥ずかしいから、夫に感謝の言葉なんて口にできない。代わりに、会話が足りていなかった夫婦に、病気がらみでも率直なやり取りが戻った。術後約3年という時間が過ぎたからだ。

「先日も夫が、『僕は(この約3年間)離婚なんて1度も考えたことなかったよ』って言うから、私は『あら、そうなの? 私は何度も考えていたけどね』って伝えておきました」

嶋田はそう言って小さく笑った。 

夫婦をよく知らない人が読めば、彼女は素直じゃないと思うかもしれない。だが、お互いに嫌な部分もぶつけ合ってきただろう夫は、妻のあけすけな言葉に隠された「ありがとう」を、きっと聴いている。

(=文中敬称略=)

荒川 龍 ルポライター

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あらかわ りゅう / Ryu Arakawa

1963年、大阪府生まれ。『PRESIDENT Online』『潮』『AERA』などで執筆中。著書『レンタルお姉さん』(東洋経済新報社)は2007年にNHKドラマ『スロースタート』の原案となった。ほかの著書に『自分を生きる働き方』(学芸出版社刊)『抱きしめて看取る理由』(ワニブックスPLUS新書)などがある。

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