「抗がん剤が劇的には効かなくても、がんが大きくならなければ、今の生活と人生を守るための治療ができる時代に入っています。症状も悪化しないし、命の危機も迫ってこないケースもあるわけです」(押川)
一人娘の母親として背中を押された出来事
訪問看護師としても働いていた嶋田は、親ががんを患い、子どもに病名や病状を伝えられずに亡くなる事例を見てきた。子どもに死の恐怖を与えたくないという愛情からだ。
忘れられない家族がいる。3年間の病院でのがん治療後、父親の希望で、在宅治療を最期の1週間だけ依頼してきた母親と、当時中学3年の兄と小学6年の妹の4人家族。
「母親ががんであることは、母親自身が子どもたちに伝えていました。でも、あまり長くは生きられないことを結局伝えられず、最期の段階が迫ってきていました」(嶋田)
担当医師がかなり悩んだ末に、子どもたちに母親の病状を伝えると、男の子はこう言ったという。
「もう助からないことは、見ていたらわかる。でも、誰も本当のことを教えてくれなかったから、伝えてもらえてよかった。(お母さんが亡くなったら)僕が遺されたお父さんを支えたい」
そうきっぱりと言い切ったという。
乳がんの告知を約1カ月前に受けていた嶋田は動揺した。
「がんになったら、私は子どもに伝えたいと以前から思っていました。ですが、実際に告知されてみると、娘にはなかなか言い出せないでいたからです。男の子が娘と同じ歳だったので、『親が何も伝えなくても、子どもなりに察知するんだ』と痛感しました。妹さんは泣きじゃくっていましたね」
その帰り道、男性医師が嶋田に予想外の告白をした。
医師は、高校時代に母親を乳がんで亡くしていた。長い闘病生活だったが、そこまで深刻な状況だとは知らなかったという。母親はもちろん、誰も本当のことを教えてくれなかった。医師は母親が亡くなった後、自分の認識の甘さと母親への罪悪感に、長い間苦しめられたと明かした。
「だからなのか、子どもだから母親の本当の病状を知らなくていいのか、という葛藤が自分の中にあった」
医師は嶋田に率直に語った。だが、子どもたちに伝えた後も、医師の心のモヤモヤは晴れなかった。だから母親が他界した後も、その家庭を訪問して子どもたちのケアを続けた。
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