41. ロメロは〈人肉を食べる/噛まれた人もゾンビになる/脳を破壊されるまで生きる〉ゾンビルールを確立する。
42. ブードゥ教のモンスターとは異なるロメロが生んだ〈新たなゾンビ像〉であり、後世に大きな影響を与えた。
43. 『ゾンビ』は150万ドルの低予算で製作されたが世界中で大ヒットとなり、ロメロの名は広まっていった。
44. イタリア映画界はこのヒットを見逃さず、『サンゲリア』(1979年)などのゾンビ映画を続々製作。
45. 1980年代にはゾンビ映画の裾野が広がり、コメディ要素を含む『バタリアン』シリーズ(1985年)も登場。
46. スチュアート・ゴードン監督の『ZOMBIO/死霊のしたたり』(1985年)はゾンビルールに恋愛を絡めている。
47. 同1985年、ロメロ監督のリビングデッド・シリーズ三作目となる映画『死霊のえじき』が公開。
48. 死者と生者の数が逆転した絶望的世界が描かれ、立てこもり基地での人間同士の対立が新たな恐怖を煽った。
49. 1980年代末には、人間のみならず動物がゾンビ化する『ペット・セメタリー』(1989年)が公開。
50. ゾンビ同士の交配によってベビーゾンビが誕生する『ブレインデッド』(1992年)なども登場した。
51. 1980年代のゾンビブームの背景には、予算のみならず特殊メイク技術の発達も影響しているといわれている。
ついに終息したゾンビブーム
52. しかしゾンビに代表される世界的なホラー、スプラッターブームは、1990年代に入ると急に終息していく。
53. 1991年にジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』が公開されると、映画界ではサイコキラーが新ブームに。
54. ゾンビのようなファンタジックな恐怖ではなく〈現実的な恐怖〉を感じさせる作品が人々の心を掴んでいく。
55. そのゾンビ冬の時代に日本で誕生したのが、1996年発売のサバイバルゲーム「バイオハザード」であった。
56. 絶望的な状況からあらゆる手段を用いて生還を目指すこのゲームはPlayStationの実験作として企画された。
57. カプコン第四開発部に所属していた三上真司が新規プロジェクトチームを立ち上げ気鋭のスタッフを招集。
58. 新しいホラーアクションゲームを模索する中、当初は〈刀を持った主人公が街を歩く〉という設定であった。
59. しかし技術的な問題でチームのモチベーションが低下。そこに途中加入した竹内潤が新アイデアを提案する。
60. 竹内がプログラマーに依頼したのは〈銃を持った主人公がゾンビを撃つ〉という場面であった。
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