21. 1915年米国がハイチを占領。ハイチ文化が米国に伝わるなかで、土着のモンスター〈ゾンビ〉も注目される。
22. 1920年代後半にはゾンビの芝居が製作され、雑誌等で特集が組まれるなどちょっとしたブームが起こる。
23. 当時、米国では吸血鬼やフランケンシュタインを主人公にしたユニバーサルのホラー映画がヒットしていた。
24. そこで独立系プロデューサーのハルペリン兄弟は、巷の流行に飛びつく形で〈ゾンビ映画〉の製作を決意。
25. 1932年、世界初のゾンビ映画『ホワイト・ゾンビ/恐怖城』が公開。主演は人気俳優ベラ・ルゴシが務めた。
26. マイナーな映画会社の低予算作であったが、ゾンビを操る呪術師を演じたルゴシにとっても代表作となった。
27. 映画の原作は、作家ウィリアム・シーブルックがハイチを訪問した際に書いた『マジック・アイランド』。
28. それゆえゾンビ像もハイチ伝承に忠実で、マスターには従うが人を襲ったり人肉を食らうようなことはない。
29. 1954年、米国のSFホラー作家リチャード・マシスンが長編デビュー作『アイ・アム・レジェンド』を発表。
30. 全世界の人間が吸血鬼化し、ただ一人の人間となった主人公に襲い掛かるというストーリーが話題を呼んだ。
ホラー映画の巨匠、ロメロ
31. 1963年に映像製作会社を立ち上げ映像監督をしていたジョージ・A・ロメロもこの小説に触発された一人だ。
32. 低予算の映画製作を決意したロメロは『アイ・アム・レジェンド』をヒントに週末等を利用して撮影を開始。
33. モノクロ16㎜フィルムで撮影された一作目は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と名付けられた。
34. 約9か月をかけ本格的ドキュメンタリータッチで撮影されたこの作品は1968年に公開。
35. 一般に見下されるB・C級映画にもかかわらずドライブインシアターやテレビ放送でカルト的人気を呼んだ。
36. 人気の背景の一つには公開当時、泥沼化していたベトナム戦争による米国の疲弊があったともいわれている。
37. 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』には食人鬼が登場するがロメロはこれを〈ゾンビ〉とは呼んでいない。
38. 現在では〈ゾンビ映画の記念碑的作品〉と称されるが、ロメロがゾンビという呼称を使用するのは二作目から。
39. その二作目がショッピングモールを舞台にした1978年公開の『ゾンビ』(原題「Dawn of the Dead」)である。
40. 『ゾンビ』は前作でロメロの才能に気づいたイタリアンホラーの監督ダリオ・アルジェントの共同出資で実現。
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