その代表は、『紅白歌合戦』でも歌われた『マリーゴールド』だ。Aメロ(歌い出し)もサビも、ともに「C→G→Am→G→F→C(→Am)→F→G」という、ほぼ同じコード進行が繰り返されている(原曲のキーはD)。
さらにこのコード進行は、いわゆる「カノン進行」と言われるもので、例えば山下達郎『クリスマス・イブ』(1983年)や松任谷由実『守ってあげたい』(1981年)など、多くのスタンダード曲でも使われた、日本人好みのするコード進行なのだ。
あいみょんの「人懐っこさ」は歌謡曲的
以上、あいみょんサウンドの人懐っこさを分解した。その「人懐っこさ」を、私(52歳)の世代風に解釈すれば「歌謡曲的」ということになる。
この点について、あいみょん自身も「日本人に歌謡曲が嫌いな人はいないと思うんですよ。たぶん日本人には歌謡曲のよさがすり込まれていると思うんですよね。(中略)歌謡曲らしさと今っぽさをいかに混じり合わせるかをすごい考えたりしますね」と語っている(雑誌『Talking Rock!』2019年3月号)。
また別のインタビューでも、「どんな音楽を聴いてきたか」という質問に、「やっぱ歌謡曲は好きで、掘りまくってましたね」と、歌謡曲愛を表明している(サイト:VOGUE GIRL「【完全版!】あいみょんの素顔に迫る、本音のガールズトーク。」)。
と考えると、あいみょんサウンドとは、昭和歌謡からJポップを経由して戻ってきた、言わば「令和歌謡」とでも言うべきムーブメントの先駆けなのかもしれない。
加えて、冒頭のコトバの話に戻ると、切っ先鋭い「あいみょんパンチライン」(ツン)と、人懐っこい「令和歌謡」(デレ)の両立という、一種の「ツンデレ現象」こそが、「あいみょん現象」の盛り上がりに大きく貢献していると思うのだ。
最後に「令和歌謡」論に話を戻す。この連載では昨年、米津玄師の歌謡曲性について分析した(『「米津玄師」の曲がロングヒットし続ける理由』2018年10月10日配信)。
また、今年に入ってブレイクしたKing Gnu(キングヌー)やAimer(エメ)の重く陰鬱なサウンドも、あいみょんとは違う意味で歌謡曲成分が多いと思う。
Jポップから「令和歌謡」へ。とてつもなく大きな地殻変動が起きているのかもしれない。
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