32歳「元専業主婦」の彼女がのめり込む書く現場 一時は編集長に、世界を旅しながら綴っていく

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卒業後も「留学したい」という夢はあったが、資金は全然足りず。また家族が病気で倒れたこともあり、まずは普通に就職することに決めた。

「出版社で編集者になりたいという夢があったんですけど、全部ダメでした。入社させてくれた会社は『三井住友カード』でした。港区の高層ビルにスーツを着てヒールを履いて出勤していました」

営業職で、クレジットカードはどういうものか、行員さんに勉強会をするなどの仕事をしていた。そして会社員として働いているときに、一度結婚をした。

「私はこれでいいのか?」

「ハワイに新婚旅行に行きました。チルで(くつろいで)働いている人たちを見て、『なんで私は週5で働いているんだろう。電車に乗って毎日同じ場所に通って。3年後も5年後も同じいすに座っているの?』って感じました。それにまだ出版社に行く夢も捨てられませんでした」

旅行中にいったん会社を辞めようと思った。新婚旅行から帰ってきた月に、辞表を出した。

「今思えばとてもいい会社でした。仕事も楽しかったです。福利厚生もちゃんとしていました。もう二度と入れてもらえないでしょうね(笑)」

24歳でいったん専業主婦になった。

ハローワークに通い失業手当てをもらいながら、転職活動をはじめた。

「当たり前ですけど前職と近い業種からしか転職のオファーが来ないんです。出版社への道は厳しかったです。アルバイトとして出版社で働くという手段もあったのですが、当時は『正社員じゃないと嫌だ』というプライドがありました」

そして転職エージェントに登録して見つけた転職先が講談社だった。ただし編集職ではなくアシスタント職だった。広告主に見本誌を送ったり、色校正をしたりと総務的な仕事をする部署だ。

「いったん出版社に入ったら、社内異動で編集にいけるんじゃないかと思ってました。でもそんなことは全然なかったです(笑)。世の中甘く見てましたね」

2014年2月、それならばと講談社で働きながらウェブでライター職を始めようと決めた。

「記事1本500円の原稿料の媒体を見つけて、履歴書を送ってOKですって言われました。その媒体で記事を書きためてポートフォリオ(作品集)にして、1本1000円の媒体に送りました。そして1000円の媒体で書きためて、2000円のところに……と徐々に原稿料の高い媒体へ移行しました。履歴書にはちゃっかり『講談社に勤務しています』と書いたりしてました(笑)」

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