32歳「元専業主婦」の彼女がのめり込む書く現場

一時は編集長に、世界を旅しながら綴っていく

学校は、もともと転勤族の子どもが多いため出入りが激しかったが、それに加え阪神淡路大震災の避難で短期的に入学する人もいたので、毎月歓迎会とお別れ会がある慌ただしい環境だった。

「出会ってもすぐ別れちゃう。ウェブが普及していない時代だったから『いつかどこかでまた会えたらいいな』って願うだけでした」

日本にいた頃から図書館に住みたいと思うほど本が好きだった。中国では日本語の本を入荷しているお店は町に数軒しかなかった。そのお店で1カ月に一度、『なかよし』や『りぼん』を買ってもらうのがとても楽しみだった。

「そんな生活を続ける中、いつしか本の翻訳の仕事に憧れていました。『かっこいい!!』って思いました。

上海での経験は原体験として今も胸に強く焼き付いています。海を超えたら言語も文化もまるで違う国があるんだって気がつきました」

小学4年生からは日本に帰国して、新潟に住むようになった。「中国帰り」として目立ったため、深刻ではないまでもイジメも経験した。

「そういう環境でしたから『成績はいいほうが何かと好都合だろう』と思って勉強は頑張りました。嫌な性格ですね(笑)。元来、活発な性格なので学級委員や生徒会も積極的にやりましたね」

ただ地元の閉塞感が少し苦手だったので、高校は地元から離れた場所に通った。

父に頭を下げていざ留学へ

大学は、海外に対する憧れがあったので『国際』がつく学科に行きたいと思った。

そういう大学は地元にはなかったし、純粋に都会の生活に憧れたのもあって横浜市立大学の国際総合科に進学した。

「大学に入ったら、入部したダンス部が楽しすぎて『留学したい』という優先順位が下がってしまいました。

それでも20歳のときに、カナダのバンクーバーに語学留学しました。でも、貯めていたお金が足りなかったので父親に、

『1年かけて返すから貸していただけませんか……』

と言ってお金を借りて行きました」

大学で語学を習っていたものの、留学先ではあまりうまくコミュニケーションを取ることができなかった。

また3月のカナダはとても美しかったが、とても寒かった。寒いのは苦手で、残念ながらあまり満喫できなかった。

「『飛行機に乗って海を越えたら違う自分になれる!!』

という期待があったんですけど、

『なれないんだ……』

と知り軽く挫折しました。大学時代の海外経験は卒業旅行で友達と韓国やバリなどへ行ったくらいですね」

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