32歳「元専業主婦」の彼女がのめり込む書く現場 一時は編集長に、世界を旅しながら綴っていく

✎ 1〜 ✎ 62 ✎ 63 ✎ 64 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

9~18時会社で仕事をして、その後ウェブメディアのミーティングをし、土日で取材をして原稿を書く、多忙な日々だった。

そんな生活を半年続けているうち、1本1万~2万円のウェブメディア媒体で仕事ができるようになった。

また、そこから派生して雑誌の記事の仕事も来るようになった。

「毎月20本書けば新卒の給料くらいの額にはなるなと思って、講談社を退社しました」

出来たての会社で編集長に

兼業ライターとして活動していときに、会社を立ち上げてメディアを作っていきたいという人たちに出会った。

「その人たちに、

『今から立ち上げる媒体の編集長をやってくれないか?』

と頼まれました。『海外旅行がしたい!!』という気持ちはあったんですが、その人たちが本当に好きだったので、引き受けることにしました」

講談社を退社した翌日から、株式会社Waseiという会社に所属することになった。

「社員といっても、私が1人目の社員です。ほっといたら仕事はありません。とにかく媒体をゼロから立ち上げました」

伊佐さんが27歳、社長が25歳、22~23歳の社員が2人という若い会社だった。

みんなで合宿をして、3日3晩どんな媒体にするのか話し合った。

「やっぱり自分たちがうらやましいと思う人を取材したいと思いました。

それはどんな人か考えたところ

『自分の暮らしを自分で選んでいる人』

でした。そしてその答えは地域にあるんじゃないかと考えました。地域に取材に出向き、自分の意思で地方に住む同世代の若者を取材しました」

そうして2015年1月1日から地域に住む人たちに注目するウェブメディア『灯台もと暮らし』の運営が始まった。伊佐さんは編集長に就任した。

「ほかの媒体で書いていた原稿料を全部『灯台もと暮らし』につっこみました。

徳島県の神山町、島根県の海士町、岩手県の遠野市などを取材しました。自費で取材をしていたら、途中からスポンサードとして『一緒に特集を作りたい』と言ってくださる人が現れ、お金が生まれるようになりました。

とにかく当時は、全員で必死に記事を書いていましたね。私としては大人の文化祭をしているような感覚でした。移動も深夜バスだったり、たまにめちゃくちゃつらかったりしたんですけど、でもめちゃくちゃ楽しかったです」

次ページ仕事は楽しいのに、メンタルがついていかず体調不良に
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事