81. 1991年5月、芝浦に巨大ディスコ「ジュリアナ東京」が開店する。その目玉は高さ130㎝のお立ち台だった
82. アイルランド人DJジョン・ロビンソンがMCを行い、ユーロビートではなく〈レイヴテクノ〉が流された
83. 女性客はボディーコンシャスなドレスに身を包み、羽根つきの扇子を振り回しながらお立ち台で踊った
84. 羽根つき扇子は〈ジュリ扇〉と呼ばれ、なかには水着やTバック下着で踊る女性も現れセクシーさを競った
85. ジュアリアナ東京では露出は禁止されたがブームは地方にも飛び火し、純粋にダンスを楽しむ客は遠のいた
86. 世論の批判や警察の指導などを受けたジュリアナ東京はお立ち台を撤去。1994年には閉店となった
87. ジュリアナ東京の閉店によって神楽坂「ツイスター」や六本木「エリア」ではユーロビート人気が再燃
88. この時期のユーロビートは〈湾岸ユーロ〉とも呼ばれ、統一された振り付けで踊る〈パラパラ〉が特長
89. 店舗によって振り付けが異なるが、複雑な振り付けを統一して踊るのはパラパラビデオの普及によるものだ
90. 1994年、六本木最後の大型ディスコとして「ヴェルファーレ」が開店する
91. しかしファッションのカジュアル化と共に、自分に合う音を求めるコア客が集まる小規模なクラブが主流化
92. 2000年以降、ディスコは風営法により24時閉店が義務づけられ、2007年1月1日ヴェルファーレも閉店する
アラフォー、アラフィフ客中心にディスコが復活
93. 六本木ヴェルファーレの閉店後、ディスコの灯は途絶えるが2010年11月に「マハラジャ六本木」が復活
94. バブル期に青春を過ごしたアラフォー、アラフィフ客の人気を集め、大阪、名古屋、祇園、仙台も復活する
95. ディスコの復活はホテル業界にも刺激を与え「グランドハイアット東京」では2005年末からイベントを実施
96. 神戸「メリケンパークオリエンタルホテル」や「東京スカイツリー」でもディスコイベントが行われている
97. 東京・調布では障がいの有無にかかわらず、誰でも参加可能なディスコパーティーが25年以上前から続いている
98. 主宰するのは調布に1つだけあったディスコ「コブラフリーク」をもとに結成された〈チームコブラ〉だ
99. 2005年に東京・立石でスタートした「立石ディスコアフタヌーン」は障がい者のためのディスコイベント
100. ボランティア団体・立石ディスコナイト実行委員会が主催し、隔月1回・土曜日の午後に開催されている
(文:寺田 薫/モノ・マガジン2019年5月2日号より転載)
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