61歳「女子プロレス」に賭けてきた男の激闘人生

人気団体「スターダム」はこうして生まれた

「それなら、そうするかと思って1978年の正月から毎日、千葉から会社に通いました。頼まれてもないのに会社に行って、『なんか仕事ないですか?』って聞いていました」

チケットの裏にハンコを押すなど雑用を任された。そして仕事の後は、連日会社の人たちと一緒にキャバレーに行った。お金はあまりなかったが、おごってもらえたので苦しくはなかった。

「そうしたら『そんなに好きなら入れてあげるよ』って言われました。実際、そこまでして会社に入りたかったかは疑問です。先輩に『入ったらいい』って言われたから漠然と従った感じでした。

当時は本当に働くことなんて、まったく考えてなかったんですよ。仕事しないで、ファン活動を続けていられたらいいなと思っていたんです。

ただそれでも、会社に入ってしまったら、単純にテレビを見ていたのとは変わりますから。自分の中でランクを上げなければならないと思いました」

当時、ビューティーペアの人気は高かったとはいえ、まだ女子プロレスは一般的にあまり知られていなかった。頑張れば、すぐに1番になれると思っていた。

「ただ会社は同族会社だったので、絶対にトップにはなれないんだなってすぐに気づきました。だったらクビにならないように、自分の好きなことをやろうと思いました」

一見さんでも楽しんでもらえるのがプロレス

会社での仕事は、自分で作らなければいけなかった。当時、社内には広報、宣伝の部署がなかったので自分でつくった。

「ほかの社員はみんな興行をやることが中心で、プロレスには興味がなかったんですよ。社内で興味があるのは自分だけでした。

タイトルマッチの記録すらなかったんです。プロレスとして認知されるには、公式の記録が必要です。新聞のスクラップブックだけはあったので、それを見ながら

『これが初代チャンピオンで、2代目はこれで、3代目はこれかな』

と自分で記録を作って、それをオフィシャルのデータにしました。

大会ごとのポスターも、自分がイメージするプロレスのポスターとは違ったので、文句を言い続けました。そうしたら『お前がやれ』って言われて、僕が作ることになりました。自分でなんとかラフを書いて印刷屋に注文しました」

そんな中、社長に

「お前はプロレスマニアかもしれないが、プロレスの興行というのは、初めて見に来た一見の客を楽しませるのが大事なんだ」

と言われた。

「当時は、何言ってるのかさっぱりわからなかったですね。でも今思えば、的を射た考え方だと思います。知識がない一見さんでも楽しめるというのはとても大事なんです」

次ページ組織の中でもがいていた20代前半
ビジネスの人気記事
トピックボードAD
関連記事
  • 360°カメラで巡る東京23区の名建築
  • 日本人が知らない古典の読み方
  • 岐路に立つ日本の財政
  • 財新
トレンドライブラリーAD
  • コメント
  • facebook
-

コメント投稿に関する規則(ガイドライン)を遵守し、内容に責任をもってご投稿ください。

ログインしてコメントを書く(400文字以内)
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
トレンドウォッチAD
北朝鮮が「新戦略兵器」?<br>強硬姿勢アピールの舞台裏

昨年末「新たな戦略兵器」との発言が報じられた金正恩委員長。強硬路線を取るとみられたものの、報告内容をよく読むと「自力更生」と経済の重視に力点があります。北朝鮮、米国、韓国、日本それぞれの立ち位置を考察します。