61歳「女子プロレス」に賭けてきた男の激闘人生 人気団体「スターダム」はこうして生まれた

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1968年には千葉公園体育館に興行に来たプロレスを初めて見に行った。

「嬉しかったんですけど、安い席だったんですごく遠かったんですよ。プロレスは前で観ないとダメだなって思いました」

中学2年になると、初めて1人で東京の後楽園ホールにプロレスを見に行った。後楽園ホールはプロレス、ボクシングなど格闘技の興行が頻繁に行われるため、格闘技の聖地と呼ばれている。

「電車とか乗ったことなかったんで、緊張しましたね。でもやっぱり後楽園ってよそとは違うんですよ。当時は自分のような少年ファンもたくさんいました」

中学3年になると、毎月のように後楽園ホールに通った。

「やっぱりレスラーの写真撮ったり、サインもらったりしたいわけですよ。でも人数が多いから、なかなかもらえないんです」

ある日、試合が終わった後、5階から1階に向かって階段を降りると1人の男の人が立っていた。手にたくさんの選手のサイン色紙を持っていた。

「どこでもらったんですか?」

と聞くと

「選手が宿泊してるホテルでもらった。今から選手に会いに行くから一緒に行かないか?」

と誘われた。

ロッシーさんは一緒にホテルニュージャパンに行ったが、残念ながらタイミングが合わなくてサインはもらえなかった。

「来週はボボ・ブラジルが来日するから、ここに来たらサインもらえるよ」

と言われた。

ホテルで同じ趣味の人たちに出会い、仲間に

「そして、一緒に行って本当にサインもらったり、写真撮ってもらったりしましたね。アンドレ・ザ・ジャイアント、テリー・ファンク、スタン・ハンセンら、たくさんの外国人レスラーのサインを収集しました。

当時は、プロレスラー=外国人という認識でした。日本人のスター選手はジャイアント馬場とアントニオ猪木しかいない状況でした」

それからは毎週のように選手が宿泊しているホテルに通った。

「その仲間たちとは今も交流してます。今年はじめて一緒にタイへ旅行に行くんですよね。もう40年以上の付き合いです」と語るロッシー小川さん(筆者撮影)

高校進学は、プロレス会場に通いやすいという理由だけで東京に近い学校を選んだ。学校が終わると誰よりも先に校門を出て、私服に着替えホテルに行った。高校3年間、そういう生活を続けた。

ホテルで同じ趣味の人たちと出会い、仲間になっていった。

「その仲間たちとは今も交流してます。今年はじめて一緒にタイへ旅行に行くんですよね。もう40年以上の付き合いです」

高校時代はプロレス雑誌を愛読していた。掲載されているロス・アンゼルスの試合の写真を見て

「海外特派員になって、プロレスラーの写真を撮りたいな」

と思った。

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