死にゆく当事者無視「危ない人生会議」とは何か 人生最期を迎える際の会話と対話の重要性

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多くの患者や家族を見送ってきた新城氏だが、自身の家族と「人生会議」はできないだろう、とも言う。それくらいに、命の終わりを前にして、家族だけで話し合いをするのは難しい、ということだ。

「父も医者なので最期について考えていることはあるでしょうし、考えがあるなら、意思がはっきりと示せるうちに聞いておきたいという思いはあります。でも、緩和ケア医であっても、やっぱり家族の誰かが死ぬ話をするのは嫌ですよ(笑)。『親父は、最期の迎え方についてどう考えているの?』なんてとても怖くて聞けません」

生き方、死に方の話は本人主体であるべき

ただ、もし家族が自分から話してくれるのなら、そのときは聞く覚悟はある。

「父がもし話し始めたら、『そんな話はやめてくれ』などと逃げたりせず、しっかり聞き届ける準備はできています。ただ、医師と患者の場合でも同じですが、親の死に方についても子どもがけしかける話じゃない。

主体になる患者が、主体的に話すならいい。本人主体の生き方、死に方を考えるのが人生会議だというのなら、それを話し始めるかどうかやタイミングも本人主体であるべき。それでも、やっぱり誰か別の医師に間に入ってもらいたいと思いますけどね」

大切な人の最期のときを当事者本人が納得して迎え、家族が後悔を残さず見送るために、話し合いをする。そのこと自体はいいことであるはずだが、一朝一夕にできることではない。まして一回の話し合いで解決できるものでもない。

家族ができることがあるとすれば、元気なうちから相手の人生に興味を持ち、たわいない話でも聞く耳を持つこと。物理的な距離を取りすぎず、そばにいること。そして、人生最後の話し合いをするときに、真摯に最期まで寄り添ってくれる専門家を見つけておくことくらいだろう。

「人生会議」が急速なスピードで広まりを見せそうな時代において、人らしく最期を迎えるために、どんな話し合いが必要か、じっくりと考えてみる必要がある。そして、患者や家族に寄り添ってくれる緩和ケア医のような存在が、今後医療の場でますます求められることになるはずだ。

玉居子 泰子 編集者、ライター

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たまいこ やすこ / Yasuko Tamaiko

1979年生まれ。東京外国語大学卒業後早川書房に入社。主に翻訳書籍の編集を行う。 2005年にベトナムに移住すると同時にフリーランスに。編集・翻訳・ライター業のほか企業通訳を務める。2007年帰国後もフリーで活動を続ける。テーマは、育児・教育、妊娠・出産、育児の悩み、家族のコミュニケーションなど。主な寄稿先は『AERA』、『東京人』、『クーヨン』、『FRaU』、日経DUAL、JBpress、soar-worldなど。過去の仕事一覧はこちら
 

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