東海テレビ「ドキュメンタリー映画」への執念 プロデューサー&監督に聞いた「続ける理由」

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『眠る村』で、もうひとつ印象に残る場面がある。村の共同墓地にあった奥西家の墓が村人によって掘り返され、石塔が畑の中にぽつんと置かれているシーンだ。その後、村八分にされた末に一家は離散したという。そうした荒々しさとは対極に、カメラはゲートボールに興じるなどどこにでもある長閑(のどか)な場面も映し出す。しかし、ある村人は「あれで、この村は終わった」と語るのだ。

──そもそも、東海テレビはなぜこの事件を何十年も追いつづけるのですか。

齊藤:1987年に先輩の門脇がこの事件を扱った『証言 調査報道・名張毒ぶどう酒事件』を発表してから、しばらく時間があいたのですが、2005年に再審決定が出たときに阿武野から「これはいまやるべきだ」といわれ、僕が引き継ぎました。どうしてかと言われると、取材をする中で、僕は冤罪の可能性がきわめて高いと思った。それにもかかわらず、1本作るごとに、裁判所によって再審請求が棄却される。それでまた違う視点から見てみよう。その繰り返しだったように思います。

それが、奥西さんの死で一度モチベーションが薄れてしまった。しかし、これまで表に出てこなかった妹さんが再審請求を引き継ぎ、兄の名誉を回復したいと活動し始めた。その姿を見て応援しないわけにはいかないという気持ちになったのです。

しつこいやつらと思われてもつくり続ける

──この事件はつらい部分が多いですよね。むしろ「これは仕事なんです」と言われたほうが納得しやすい面もあるんですが。

齊藤:仕事ということでいうと、阿武野から「これはやり続けなきゃいけない」と言われましたよ。

再審請求は妹が引き継いでおこなっている ©東海テレビ放送

──業務命令ですか。

齊藤:そうですね(笑)。

阿武野:なぜ続くかといわれれば、この取材はまじめな人間でないとできない。さらに、小さな民の声をちゃんと聞かないといけない。たまたま3代にわたって、そういう人間がいた。いくら業務命令だといったって、情熱がなければバトンを渡せなかったでしょうし、情熱を注ぎ込むことのできる何かがこの事件にはあるんだと思いますよ。

──それは何だとお考えですか。

阿武野:再審請求にあたって、科学的に検証をした新証拠を提示しても、裁判所は「自白」を理由に取り上げようとしません。でもそれでは、あきらめきれない。

個人と国家の時間軸は違うんですよ。だから1代で決着はつかないのです。ここで自分が折れてしまったら、人は国家に牛耳られる存在だと認めてしまうことになります。それはしたくない。何がなんでも、もう1本つくり続ける。しつこいやつらと思われているかもしれませんが、ウチには幸いにして3代も「これで変わるかもしれない」と思う人間がいました。それは、あきらめきれないものがあるからだと思います。ちがうかなぁ?(隣に座る齊藤さんを見る)

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