東海テレビ「ドキュメンタリー映画」への執念 プロデューサー&監督に聞いた「続ける理由」
──『眠る村』が異色なのは、事件から60年余りが経過した村を取材するなかで、村に残る「人身御供」の伝説や、奥西さんの村での立場など、ミステリーでいう伏線にあたるものを並べていることです。
齊藤:父親から「勝さんは友達が少なかったからね」と聞いたと語る男の人は、事件当時お母さんのお腹の中にいた人で、話を聞けたのは今回が初めてでした。「生け贄の言い伝え」の話も、村の人の雑談の中からこんな話があるんだよとポロッと出たことです。
──撮影に入る際に、そうしたものを撮ろうというのは、狙いとしてあったわけですか。
齊藤:東海テレビの伝統でもあるんですが、最初に「構成」は考えない。こんなのが撮れたらいいなという思いはありますが、とにかくいっぱい取材する。料理にたとえるなら、新鮮な食材を大量に集めてからメニューを考える。
阿武野:僕らは「手ぶら」の取材と言っている。そうは言っても取材スタッフは考えて行くんでしょうけど、とくに何があるわけでもない日に手ぶらで出かけていくと何か不思議なものが撮れてしまうのです。
齊藤:そのぶん効率はすごく悪いですよ。『眠る村』は2年がかり。テープもいっぱい回しますし、オンエアされ映画になるのはごく一部。ほとんどが捨てる作業です。
阿武野:いつも言っているのは「企画書も出しておいてね」と。
企画書はたったの1枚
──「も」ですか。
阿武野:社内で稟議を通さないといけませんので。弁護団長だった鈴木泉弁護士が、あるとき「村人も被害者なんだよね」と言ったんです。警察や検察の取り調べで、無理やり変えさせられたことを指しているのですが。彼らは証言を変えざるをえない状況に追い込まれ、それを維持しないといけなくなった。そうした視点から原点に立ち返り、村に焦点を当てるべきではないか。そんな企画書だったと記憶しています。
齊藤:企画書はA4の用紙1枚。タイトルと放映予定、企画意図と内容、あとはナレーターを誰にしたいのか。その程度のものです。
阿武野:取材をする前からきちっとした企画書なんて書けるわけがない。現場で初めて見えてくるものや、編集する中で気づくこともある。逆に、あらかじめ決めすぎていると、表現が細るというか、企画書どおりに出来上がったものが面白いわけがない。
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