「お母さん、もう帰ろう」
先日、何げなくつけたテレビで、樹木希林さんの追悼特集が放送されていた。特集の中では若き日の希林さんが、まだ小学生と思しき一人娘の也哉子さんと、2人でエジプトを旅する過去の番組の映像を映していた。
ピラミッドの前に立った希林さんは、一度全体を見渡してから、おもむろに目の前にある、大きくて平らな石の上に横になり、それからゆっくりと、何かを感じ取ろうとするかのように目を閉じた。
すると急に、隣にいた也哉子さんが、慌てた様子で希林さんを揺すった。「お母さん、もう帰ろう」と、懇願している。
私はこの也哉子さんの言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる思いがした。なぜなら、彼女の口調があまりにも切実さに満ちていたからだ。まるで、今にも遠くに連れ去られてしまいそうなお母さんを、なんとかこの場につなぎ止めようとする、必死で、悲痛な訴えのように聞こえた。
得体の知れない深い闇のような不安が、彼女の側にはいつも息を潜めていて、ふとしたとき、今みたいにその姿を現しては、彼女を怯えさせてきたのかもしれない。そんなことを思わずにはいられなかった。
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