“お母さん”
今年13歳になった私の娘も、最近たまに、あの映像の中の也哉子さんと同じような声色で私を呼ぶ。以前別のドキュメンタリー番組で見た、親とはぐれた子どものチンパンジーも、似たような声色の鳴き声をあげていた。何がそんなに不安なのかなあと考えていると、あるとき娘は唐突にこんなことを言い出した。
「お母さん、もうすぐ死んだりしないよね?」
はぁ? 何をいきなり言い出すのかと思えば「だって最近ずっと家にいるし、よく笑うようになったじゃない。もうすぐ病気で死ぬから、最後の家族サービスをしてるんじゃないの?」と、至って大真面目な様子。
あいにく、よく家にいるのはそれまで勤めていた仕事を辞めたからだし、よく笑うようになったとすれば(その自覚はないけれど)、前より時間と精神に余裕ができたからかもしれない。
娘がひそかにそんなささいな私の変化を感じ取っていたことにも驚いたけれど、それにも増して、そこに勝手に私の死を想起していたことには、ただただ仰天した。「そんなわけないじゃん」と一笑に付す私に、娘はそれでもまだ「ほんと?」と疑いの眼差しを崩さない。
つい笑ってしまったけれど、よく考えれば私にだって身に覚えがあった。
煮豆腐をうれしそうに食べる父
あれはたしか、今の娘と同じ、中学1年生くらいの頃のことだった。
当時、父は単身赴任で遠くに住んでいて、普段は母と私と妹の3人だけで暮らしていた。父は月に1度か2度、家に帰ってくる。母はそんな父の帰宅にあわせて、決まって父の好物の煮豆腐を作った。
絹ごし豆腐を程よい大きさに切って、醤油、酒、みりん、それに砂糖を加えて、甘辛く煮るのだ。少し濃すぎるくらいの味付けで、葱や生姜などの薬味はいっさい使わないというのが父のこだわりだった。残念ながら私や妹はあまり煮豆腐が好きではなかったから、その一品は決まって、父の前にだけ並んだ。
帰宅した父は真っ先にシャワーを浴び、パジャマに着替えて、食卓の自分の席につく。自分の好物に気づくと「おっ、これこれ」と頬を緩め、湯気の立つ熱々の煮豆腐を、はふはふと、それはおいしそうに頬張る父。ふと、自分をじっと見つめる娘の視線に気づいたのだろう。「食べてみる? あげようか?」と、私のほうにぐいぐいと皿を寄せ、食べさせようとする。
ある晩、私はそんな父を前に、たまらず号泣してしまった。なんだか、途方に暮れてしまったのだ。
好物をこんなにもうれしそうに食べる父。今、目の前で疑いようもなく生きている父。そんな父が、いつかは必ず死んでしまう。大好きな煮豆腐を、いつかは食べられなくなってしまう。順当にいけば、私がそれを見送ることになるのだろう。母だってきっとそうなる。
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