42歳「法廷画」でとことん際立つ男の波乱万丈 「絵で食べる」ためやれることをやり尽くした

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この考え方は「榎本」を外さずに本名で活動していることにも通じている。

「自分の名前は『よしたか』だと思っています。名付け親は両親ではなく神社の宮司だと聞いています。漢字で書くと『祥孝』ですが、ほとんどそう読まれたことはありません。読まれない漢字に意味はないと思っているので、ひらがなで『よしたか』。榎本は親の名前であって、本当はどうでもいいんです。

ただ、名字がないと、郵便物を受け取るときに『あの、こちらはよしたかさんのお宅ですか?』となって面倒が増えるじゃないですか。ペンネームでも1枚フィルターがかかるから、本名で活動するのが便利だなと。それだけです。請求書に押す判子も安く手に入りますし(笑)」

過去を拒絶するでも封印するでもなく、これからの自分に生かせるように淡々と利用する。絵で食べていくために、絵の技術を身に付けるだけじゃなく、世間に求められる絵のテイストを学び、社会勉強し、あがり症を克服して過去の歩みを開示する。このロングスパンで一貫している戦略眼がよしたかさんの強さの本質なんじゃないかと思った。

一生、「絵で食べていく」

現在、よしたかさんは拠点を東京郊外に完全に移し、妻と2人の娘、家族4人で暮らしている。夫婦で協力しあって育児をしつつ仕事する日々。営業はほぼしていない。こちらが動かなくても次々と仕事が舞い込んできて、むしろ断らなくてはいけないことが多くなっているためだ。

よしたかさんの「絵で食べていく」に引退の2文字はなく、一生続けていきたいと語る。その目標に対して今はとても順風な状態にも見えるが、不安な要素を含んでいることを見落としてはいない。

新たな営業をして新規開拓していく余力がないと、自分が望む方向に舵を切ったり、数年後に芽が出るような企画を始めたりといったことがやりにくくなる。

加えて、仕事を断り続けると、「いつも忙しくてたぶん受けてくれないから……」と同じクライアントから次の依頼が届きにくくなったりもする。すると、次の手が打てないままに急に仕事がこなくなるなんてことも起きなくはない。50代、60代……先は長い。

依頼の増大に対しては生産力アップ、すなわち、数名の部下を募ってプロダクション体制を敷くのが1つの手段だが、その方向にはいかないと断言する。

「30代半ばですごく忙しい時期にチームでやることを検討したんですけど、性にあわないのでやめました。人に描いてもらった作品を修正する作業のほうがストレスは膨大で、自分は一生プレーヤーでいようと思いました。

これだけお金で大変な思いをしてきて、お金を稼ぐということをかなり真剣に考えてきたんですけど、そっちの稼ぎ方は望むものじゃないなと。自分で手を動かして生み出したもので対価を得て、それで生活していくというのが僕とお金の関係性の哲学になっています」

これからも1人、プレーヤーとして何とかしていく。今手元にある仕事を忙しくこなす現状だが、時間をつくってやりたいことはある。『トコノクボ』に続く自伝マンガを描いて、自ら電子書籍を発行してみたい。また、ウィットに富んだ風刺画も描いてみたい。

過度に攻撃的だったり、差別や偏見を助長したりするようなものではなく、品がよくて巧いものを目指し、それを世界に向けて発信する構想だ。これまでのように依頼を受けて描く仕事を続けながら、クリエイティブな方法で自分を出す種を植えてみたい――。

よしたかさんは、イラストレーターをよく料理人に例える。ある日のツイッターではこうつぶやいていた。

<世間に名を轟かせるカリスマシェフもいれば街の定食屋さんもいて、それぞれ必要とされて存在していると思うんです。>
<どの駅前にもひとつふたつある定食屋さんが地元民に愛されて長年経営できているように、有名ではないけれど、喜んでくれる誰かがいて、それを供給しつづけることで食べていけるというクリエイティブ界隈もあると思うんです。>
(2018年11月2日)

子供の頃から「自分は街の定食屋さん」だと思っているという。書店にいけば驚くほどうまい絵を描く人が大量に見つかる。

その中でも絵で食べていくと強く思えたのは、この発想があるからだ。法廷画で有名になったことも「風変わりな料理を出す定食屋」ということだと捉えている。近い将来、よしたかさんの店にそんな風変わりな料理が増えているかもしれない。

古田 雄介 フリーランスライター

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ふるた ゆうすけ / Yusuke Furuta

1977年生まれ。元葬儀業のライターで、キャリアは15年。デジタル遺品や死後のインターネットコンテンツの行方などを追っている。著書に『故人サイト』(社会評論社)、『中の人』(KADOKAWA)など。

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