それから地元や関西で大きな公判があると法廷画の依頼が届くようになる。しかし、ほかの多くの仕事は首都圏の会社からの依頼だったので、加盟している「日本イラストレーション協会(JILLA)」のシンポジウムをきっかけに、東京へ営業ツアーを慣行し、積極的に仕事の間口を広げていった。当時は営業と制作に充てるリソースは5:5という意識で動いていたという。
「知ってもらわないと話が始まらないですから。いい絵を描いてさえいれば、いつか誰かが見つけてくれて自動的に価値が認められる……というのは幻想だと思うんです」
結果が形になってきた頃、ショックな出来事が
がむしゃらに働いた結果がようやく形になってきた頃、ショックな出来事が襲う。身内が借金を数百万円ほど作り、よしたかさんのクレジットカードを盗み、無断でキャッシングしていたことが発覚したのだ。身内ゆえ、法に委ねるとこちらは被害者であるが同時に加害者の身内にもなってしまう。
さまざまな方面にかけあったが、やはり警察の厄介になることは難しく、結局泣き寝入りするしかなかった。もちろん、ほかの家族が手を差し伸べてくれることはない。
最終的に身内は施設に預けることになったが、よしたかさんの預金は戻ってこないし、父の借金とは毛色の違う闇金からの取り立てもやってくるようになってしまった。まだ継続中の問題のために今も子細には明かせないものの、このときのストレスは本当にたまらなかったと噛みしめる。
「もう、やってられなかったです。自己破産の費用までこっちが捻出するしかなくて、加害者のほうがのうのうと過ごしているっていうね。
でも、別に得するためにまじめにやっているわけではないからな、とも思っていて。まじめなやつほど馬鹿を見るとか、正直な奴ほど損をするとか、そういう思想は捨てました。
因果律はどうしてもよくて、重要なのは何か起こったときにどう対処できるかだと。その対処できる能力を身に付けておこう。これからの人生もきっとこんなことが待っていたりする。そう考えると、このトラブルを対処したことは絶対に自分の自信になる。……時間はかかりましたけど、そう思ってやりすごしました」
さまざまな問題を抱えながらも仕事は順調で、CADオペレーターの派遣をせずに本業1本で食べていけるようになるまで時間はかからなかった。法廷画の仕事はキー局の番組からも届くようになり、28歳の頃には年収600万円に到達。フリーになった際の目標をクリアし、次は年収1000万円を目指すことにした。
すると、より多くの仕事をするために、クライアントの多い東京に事務所を構えるというアイデアが浮かび上がってきた。家庭にかかる諸々の費用は月額35万円。自分の生活費と家賃は切り詰めて15万~20万円。やれなくはない。30歳の頃に東京都小金井市に事務所を開設する。
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