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キャリア・教育 #「非会社員」の知られざる稼ぎ方

30歳の3代目が凄惨な現場で奮闘続けるワケ 跡を継ぎ、遺品整理と特殊清掃に行き着いた

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  • 村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター
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場所を本社に移し、改めて山本社長に話を聞いた。

山本さんのお父さんは、大栄運輸産業という運送会社で、トラックの運転手として働いていた。途中から社内の事務仕事に移行した。

1994年、大栄運輸産業の初代創業者はダイウンを新たに立ち上げた。産業廃棄物関連の仕事を専門にした会社だった。その頃、山本さんはまだ6歳だった。

「4人兄弟の3番目として産まれました。次男ですね。その頃は跡を継ごうとか、全然考えていなかったです。野球が好きだったので、野球選手になりたいなあとか思っていました」

山本さんのお父さんは元々柔道家で、かつて大会で日本一になったこともあった。子どもにも柔道をさせたいと思い、山本さんにも柔道を習わせていた。

「柔道は嫌いでした。投げられたら痛いですし。いやいややっているので技術も伸びないし、試合でも負けてました」

嫌いなことには頑張れない性格だった。

東京の大学に入学し、大阪の会社に就職

しかし逆に好きなことはとても頑張れた。

「好きなことや、自分の意思ではじめたことには負けず嫌いになる性格でした。運動神経はあんまり良くないんですけど、野球は好きだったので頑張って、中学2年のときには背番号をもらうことができました」

学業は、

「兄貴よりレベルの高い学校に行きたい」

というのを目標にして頑張った。

そしてめでたく東京の大学に進学した。学部は社会学部だった。

「大学では将来何がしたいかなど、具体的なことは考えていなかった」と山本社長(筆者撮影)

ただ、その時点では将来何がしたいなど、具体的なことは考えていなかった。

「正直なところ、東京は居心地が悪かったです。人と人の距離が、大阪とは違っていて戸惑いました。もちろん、大学のときにそう感じただけで、今行ったら違うのかもしれませんが」

大学3年生までに卒業論文以外の単位は取得した。大学4年生時には2~3カ月に1回しか学校に通う必要がなくなった。

東京の高い家賃を払うことを考えると、必要なときだけ新幹線で往復したほうが安かった。東京のアパートは引き払い、大阪から通った。

山本さんが大学に通っている頃、山本さんのお父さんはダイウンの2代目社長になった。まさにたたき上げから社長になった人物だった。

卒業後は、もちろん東京で働くという選択肢はなく、大阪の医薬品を取り扱う会社に就職した。従業員数が2000人を超える大きな会社だった。

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【父親に『ダイウンへ来ないか』と誘われ…】

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