評価する側が、部下に試されている
人事評価についても同様です。評価で最も問われるのは、結局は上司(評価する側)の覚悟だと思います。誰を抜擢するのか、誰に高評価をつけるのか低評価をつけるのか。
評価する側のほうが、部下から試されているということを自覚すべきです。日常における部下への指導でもそうです。もちろん、時と場合によりますが、感情的に怒りまくったり、態度や言葉で威嚇するというのはとても恥ずかしいことで、それは上司の言語化能力を自ら否定しているようなものだと思います。背中を見て育てというのは美しいですが、それは同時に怠慢さも意味します。
人事評価に関して少し余談ですが、そもそも評価がそぐわない仕事というのも確かに存在します。具体的には、成果が自分でコントロールできない仕事。そしてうまくいくのが当たり前で、失敗したときの減点法でしか評価できない仕事です。 たとえば、私がこの夏まで再生支援していたバス会社の乗務員がそれに当たります。
バス乗務員は自分のバスのお客様を増やすことはできません。魅力的な路線ならお客様は何もしなくても乗りますし、過疎地域の路線なら何をやってもお客様はほとんど乗りません(極端ですが)。自分の担当路線の売り上げを増やそうとしても、自分だけではどうにもなりません。
また、バスの乗務員は定時で運行することや事故を起こさないことが当たり前です。そうなると評価は、「遅延したからペケ」とか「事故を起こしたからペケ」などというようにマイナス評価にならざるをません。
だからと言って、マイナス評価でいつまでもお茶を濁しているわけにもいかないので、少し考えてみます。まず、乗務員の頑張りは本当に収支をコントロールできないのか?
たとえば安全運転を徹底して心掛け、結果的に事故が少なければ自動車保険(の掛け金)が下がります。車両の修理が必要ないので修繕費が下がります。あるいは、運転手さんの愛想やサービスがよくても、乗る人が増えるわけではありませんが、つねにムスッとしている運転手さんのバスには、次から乗りたくない人が増えるでしょう。
こう考えてみると、直接的でなくても乗務員の努力は収支に貢献していると言えます。だとすると、何を評価すべきかが自然と見えてきます。つまるところ評価とは、できるだけコントロールできる要素を評価指標とし、それも差をつけるならマイナス方向ではなくプラス方向に差をつけること、それが大事だと思います。
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