空前の「縄文ブーム」背後にある日本人の憂鬱

土偶や土器にときめく心理とは?

火焔型土器の躍動感があふれる中にも確立された型があり、均整の取れた造形美に舌を巻くのも、土偶の愛らしさに癒されるのも納得する。しかし、それ以上に縄文人の世界観に私たちは心惹かれているのではないか。

時折目にする「1万年以上、平和で豊かで安定した暮らしをしていた」という記述は、私は少し違うのではないかと思っている。確かに、大規模な殺戮が行われた形跡は今のところ見つかっていないが、縄文人は私たちと同じホモ・サピエンスである。それなりに小競り合いはあったはずだ。

最大でも日本列島に26万人ほどの人口だったと考えられるから、無用な争いを避けるような知恵があったとも考えられる。なにも霞を喰って悟りを開いた人たちだったわけでない。

縄文時代はユートピアだったと考える人もいるようだが、縄文人からすれば、現代のほうがよっぽどユートピアである。食料は1年中こと欠かないし、医療も驚異的に日々進歩していて、逆に恐いくらいだ。縄文人骨の中には癌に侵されたものも見つかっていて、きっとその人はつかみようのない恐怖と激しい痛みで、もだえ苦しんだに違いない。そんなふうにして亡くなる人がたくさんいたのではないか。

人間など本当に存在だと認識していた

だから私は想像する。

縄文人は、自分の命を使い切ることに真っ直ぐに進んでいったはずだと。彼らにとって、日々を積み重ねることが生きることのすべてだったはずだ。とにかく1日でも長く無事に暮らすこと。そして次の世代に命をつなぐこと。これが彼らに課せられた、たったひとつの使命だったのではないか。

そのために1年中食料を探して飢えをしのぎ、生き抜くために知恵を絞る。突如として起こる火山の爆発や大地震、津波、そして寒冷化など自然の脅威に翻弄されながら、自分たち人間は太刀打ちすることができない、本当に小さな存在だと嫌でも認識していただろう。だからこそ見えない存在(超自然的存在)に祈るための道具として土偶を作り、呪術的な文様を彫込んだ土器を作ったのではないか。

土偶を観ていて思うことがある。作り手は、心の中に浮かんだイメージを純粋に具現化させたんだな、と。現代人には奇抜に見える造形も、彼らにとってはそれしかないのである。そこには「周りに良く思われたい。認められたい」という気持ちが入る隙がない。だから、私たちは心をつかまれる。

次ページ縄文人には生きることへの迷いがなかった
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