日本人の気質は「縄文時代」から変わっていない

なぜ縄文時代が終わったのかを考えてみた

約1万年続いた縄文時代はどうして終わってしまったのか、平成の終わりに改めて考えてみた(写真:ikeda_a/PIXTA)

この連載も今回が最後となる。お読みいただいた方には感謝申し上げたい。と、いきなり、終わりのような始まりなのだけれど、連載のタイトルに「平成の終わりに」とついていることだし、縄文時代の終わりの話を書いてこの連載を終わりたいと思う。

縄文時代後期には植物栽培が行われていた

日本列島は南北に長い。ゆえに、さまざまなことにタイムラグが生じる。東京の流行が全国的に流行かというと、そんなことはなく、タイムラグが生じてゆっくりと地方へ到達することも少なくない。時に、地方によっては「え?まだそれが生き残ってんの?」みたいなことが起こることもある。それはそれで地方の味わいである。

南北に長いということは、自然環境も如実に違う。ちなみに原稿を書いている日の沖縄の気温は21℃で、札幌の気温が2℃である。同じ列島内でこれだけ気温が違えば自然環境も違うし、暮らしや思考も変わるのは当たり前の話と言える。

その自然環境が影響したのだろうか。縄文時代の後・晩期、冷涼化していた西日本は森から得られる食料確保が難しい時代に突入していたようで、 アワやキビなどの穀物を栽培し、なんとか生き延びようとしていたと考えられている。

とはいえ、あくまでも農耕は食料確保の1つの手段であり、基本的には彼らはずっと変わらず、採集・狩猟・漁労で暮らしていた。穀物を育てることはリスクヘッジだったとも言える。これ、今まで学校で習ってきたことと、違うんじゃない?

そう思うのは私だけではないはずである。

縄文人といえば、狩猟採集漁労という森の恵みによって暮らしてきたと習ってきたのに、どうやら違うらしい。「農耕」をどう捉えるか、ということは、いまだ議論があるのだけれど、後・晩期の西日本の縄文人だけでなく、中期に中部高地に暮らした人々も、どうやら野生のツルマメをまいて、植物を育てていたことが明らかになってきている。

ただし、主食かどうかまではわからない。わからないけれど、この時期の中部高地は気候が温暖で、食料も豊富だったと考えられるから、「もしものために、やっとくか」ぐらいでタネをまいていたんじゃないかと個人的には考えている。

話がそれた。

次ページそして、渡来人がやってくると…
ライフの人気記事
トピックボードAD
関連記事
  • 競馬好きエコノミストの市場深読み劇場
  • 育休世代 vs.専業主婦前提社会
  • 若者のための経済学
  • 最新の週刊東洋経済
トレンドライブラリーAD
  • コメント
  • facebook
-

コメント投稿に関する規則(ガイドライン)を遵守し、内容に責任をもってご投稿ください。

ログインしてコメントを書く(400文字以内)
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
トレンドウォッチAD
かんぽ まさかの10月営業再開<br>日本郵政グループの不適切判断

日本郵便本社が発した「10月からかんぽ営業を段階的に再開」との緊急指示に、現場は大混乱。乗り換え勧奨禁止などの再発防止策、7月末に実施を発表した全件調査、特定事案調査にも大きな問題を残したままだ。拙速な営業再開の裏には何が。