日本人の気質は「縄文時代」から変わっていない なぜ縄文時代が終わったのかを考えてみた

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 5
拡大
縮小

こうして西日本の縄文人の間に、「植物を育てる」という暮らしが定着しだしたころ、朝鮮半島西南部から、海を渡ってやってきた人たちがいた。

のちに、渡来系の弥生人と言われる人たちである。彼らは水田稲作の技術と、それに伴う社会的な仕組み、例えば、コメの豊穣を祈るためのまつりごとや稲作を行うための組織運営などを持ち込み、それを中心に据えて暮らした人々である。これが、縄文晩期の北部九州での出来事。

渡来人が上陸し、日本列島で最初に水田稲作を始めた場所が、福岡県の早良平野と言われている。その平野の上流から中流域にかけて、もともと縄文人たちは暮らしていた。森にも川にも近く、さまざまな場所で食料確保ができるように選ばれた場所といっていい。

1つの列島に2つの文化が存在した時代

その下流域に目をつけたのが渡来人である。彼らは、その地を新天地として暮らし始めた。一方、その頃東日本では、以前と変わらず狩猟採集漁労の暮らしを行い、遮光器土偶を作り、縄文的な暮らしを続けていた人々もいた。

縄文時代晩期、それは、1つの列島の中で、2つの文化が存在した時代なのだ。その後、弥生時代に数百年かけて、水田稲作が列島内に広がっていく。

ここで少し、最初に米作りを始めた早良平野の人々を想像してみてほしい。確かに暮らしている場所は違うし、きっと緩衝地域もあったと思うが、お互い、どうにも目に付いたはずだ。

中、上流域に暮らす縄文人からしたら「なんだ?あの平たい顔をした人たちは。今までみたことない奴らだ。身長だって俺らよりもだいぶ高い。そもそもあのドロドロの中に植わってんのはなんなんだ。あいつら、せっせと草とか取って世話している」てな感じで、下流域に暮らす渡来の人々の様子を遠巻きに観察していたことだろう。

次ページ縄文人が滅びた本当の理由
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT