ここまで、縄文人たちの世界観についてお話ししてきた。読者の中には「んなことあるかい! 幻想じゃ」という方や、「そうよね、縄文人たちはきっと優しい人たちだったわよね」という方もいることだろう。
私個人的には、いろんな意見があってしかるべきだと思っている。「縄文時代はこうである」と定義すること自体が土台無理な話なのだ。彼らが、現代人が解読できる文字で己の生活を書き残していない以上、誰も本当のことはわからない。わからないけれど、近づく手段がある。
それは、彼らが作った土器や土偶から想像することである。あくまで想像だけれども。そこで今回は、土器や土偶について話をしようと思う。
土偶の用途はいったい何だったのか
私事で恐縮だが、私には文筆家のほかに「土偶女子」なる肩書がついている。もちろん、自分が付けたわけではない。当初、なんだかお尻の座りが悪いような、何とも落ち着かない心持ちだったけれど、今ではわかりやすい目印としてそのまま肩書としている。
さて、その土偶。
読者の皆さんはいったい何だと思うだろうか。土偶は見る人によって宇宙人とも赤ちゃんのようだとも言われるが、縄文時代に粘土で作られた人形(ひとがた)の焼物、というのがざっくりとした定義になる。その姿は、妊娠した女性を表しているとか、精霊を表しているとも言われる。
では、用途は何だったのかと言えば、狩猟・採集・漁撈(ぎょろう)などの食料確保の成功祈願の道具だったり、安産や命の再生、病気治癒の願掛け道具とも言われている。ものによっては、「どう見ても子どもの玩具じゃない?」というものもあるから、本当にいかようにも想像ができる存在である。
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