土偶の見た目が「奇想天外」である深い理由 縄文人にとって土偶はどんな存在だったのか

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現代人の度肝を抜くような、一見すると非合理的に思える土器を無心で作ることは、一種のトランス状態になったはずだ。一心不乱に粘土と格闘し、たとえば心のうちにある祈りや集落の神話を見えない存在に伝えるように表現していく。時に激しく、時にたおやかに。

水が流れるような造形もあれば、炎が燃え上がるようなものもある。生き物のはらわたかと思うような、ぐねぐねとしたものが土器の表面に貼り付けられるものあれば、一目見て骨盤だとわかる土器もある。作り手は懸命に手を動かし、自分と、そして見えない存在と対話する。

縄文人が見えない存在に心を寄せたように

そうして出来上がった呪術的な模様は、集落の人たちに共有される。皆で同じ模様を作ることで連帯感は強まり、集落の証しになっていく。何代にもわたってその模様を作り続けることが、見えない存在との契約であるかのように。

突然降り掛かる天災や仲間や家族の死、食料の減少や気候の変化。すべては人智が及ばぬ世界で生きる彼らにとって、頼るべきは目に見えない存在であり、それは厳しい環境を生き抜いていくための装置だったと言えるかもしれない。

ひるがえって現代はどうだろう。国は揺らぎ、今の暮らしに不安を抱える人も増えている。

以前、ある研究者が言っていた。「社会に不安が増えると縄文時代が見直されるんだよ」と。

これを聞いたのは、東日本大震災の後で、実際に、それ以降、ジワジワと縄文時代に関心を寄せる人が増えたように思う。縄文人たちが土器や土偶を介して見えない存在に心を寄せたように、現代人も心の寄る辺を求めている。

譽田 亜紀子 文筆家

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こんだ あきこ / Akiko Konda

岐阜県生まれ。京都女子大学卒業。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、そして縄文時代の研究を重ねている。現在は、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。著書に『はじめての土偶』(2014年)、『にっぽん全国土偶手帖』(2015年、ともに世界文化社)、『ときめく縄文図鑑』(2016年、山と溪谷社)、『土偶のリアル』(2017年、山川出版社)、『知られざる縄文ライフ』(2017年、誠文堂新光社)、『土偶界へようこそ』(2017年、山川出版社)。近著に『縄文のヒミツ』(2018年、小学館)、『折る土偶ちゃん』(2018年、朝日出版社)がある。

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