――入り口はスターが見たいでもいいと。
そうですね。入り口はスター映画であっても、その中に社会的なメッセージが含まれている。その二重構造、三重構造みたいなレイヤーがいくつもあるという。それは上っ面だけで済まそうと思えば済ませられるけど、少し入っていくといろいろなものが見えてくると思うんです。
「なんだかわからないけど、この映画を観終わったらいろいろ語りたくなった」と、いろんな反応を見ていると、そんな方向にいっているような気がします。モヤモヤしたものも含めて、若い子たちがそういうことを言っているんです。だから知的好奇心を持って映画を観てくれる人には、ここで発信しているメッセージをいい形で受け取ってもらえるのではないかと思っています。
現代社会には法の正義とエモーショナルな正義がある
――原田監督は、いろいろな題材を手掛けてきて、さらには映画ジャーナリストという経歴をお持ちということからも、丹念にリサーチしている印象があります。
今回は、今まで積み重ねてきたものを、『検察側の罪人』にうまく入れています。そもそも日本人と戦争犯罪についてもともと関心があったから、劇中で出てくるインパール作戦の話を盛り込みたいと考えていた。同様に冤罪事件や少年犯罪に関しても、この作品にはうまく入れ込めることができるなということは感じていました。
そして、「こういうスタイルでやりたい」と話をしたらすぐオーケーが出た。だから、自分のやりたいことをこの作品に注ぎ込んで、2人を活かすという方向にもっていくことができました。個人的にはもう前から犯罪映画というのは、「いつでもできるよ」というつもりでいたし、時代劇に比べるとリサーチの量が少ないので、いちばん楽にできます。さらに「コートルームドラマ」という法廷ものもやりたいと思っています。
――そうした積み重ねがつながってできているんですね。
つながっています。作品を撮りながら、キャリアを編むっていうこともありますが、すべての作品がつながっています。たとえば、『関ヶ原』とは、「正義」というキーワードではつながる。
ただ、『関ヶ原』での正義というのは、先発完投型の古い形の正義で、一方、現代社会の正義は、大きく分けると「法の正義」というテクニカルな正義と、個人的なエモーショナルな正義に分かれます。この映画でも、沖野はテクニカルな正義に固執して。最上はそこから逸脱してエモーショナルなほうの正義を見いだしていく。
僕の考え方は、今の世の中は、不正があまりにも横行しすぎていてテクニカルな正義だけではもう正義を遂行できなくなっていると見ています。現代社会を舞台に社会派的なものを入れ込んでいくときには、その正義の形がどう変貌していくかということも描いていく必要があると思っています。
(文中一部敬称略)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら