生誕100年、バーンスタインの凄すぎる生涯

大物音楽家たちがその才能に惚れ込んだ

その後、1924年に名指揮者ピエール・モントゥー(1875-1964)の後任としてアメリカのボストン交響楽団音楽監督に就任。ここでも同時代の作曲家たちへの作品委嘱を続け、ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」やストラヴィンスキー(1882-1971)の「詩篇交響曲」、プロコフィエフの「交響曲第4番」などの名作を世に送り出す。

さらに1942年には「クーセヴィツキー財団」を設立し、バルトーク(1881-1945)の「管弦楽のための協奏曲」や、ブリテン(1913-1976)の「ピーター・グライムズ」、メシアン(1908-1992)の「トゥーランガリラ交響曲」などの名曲を世に送り出した事実はまさに驚くべき偉業と言えるだろう。クーセヴィツキーによって、“20世紀音楽”は大きな変化と発展を遂げたのだ。

クーセヴィツキーの遺志を継いで

名伯楽であり時代を代表するプロデューサーでもあったクーセヴィツキーが特に目をかけ、事あるごとに手を差し伸べていたのがバーンスタインだった。

クーセヴィツキーはバーンスタインを息子のようにかわいがり、その支援に感謝したバーンスタインは、後年クーセヴィツキーから贈られたカフスボタンを指揮台に置いて指揮をしたという。この逸話からも2人の絆の強さがうかがえる。

そして、バーンスタインの出世作として知られる「交響曲第2番《不安の時代》」の初演が、クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団とバーンスタイン自身のピアノによって行われたことも特筆すべき出来事だろう。この2人の出会いの場となったのが、1937年にクーセヴェツキーが創設した「タングルウッド音楽祭」だ。

ボストン交響楽団の夏の活動拠点であったタングルウッドに、5000人収容の屋外コンサート会場を設けて大衆のためのコンサートを実施した他、若手音楽家の育成を行うサマー・アカデミーを開催。そこに参加した若者の1人がバーンスタインだった。

“優れた音楽家を世に送り出したい”というクーセヴィツキーの遺志はその後見事に受け継がれ、1990年、バーンスタインの提唱による国際教育音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)」として札幌に結実する。バーンスタイン生誕100周年を記念した今年のPMF(7月5日〜8月1日開催)は、まさにバーンスタインへのオマージュといった趣で盛り上がったことが印象深い。

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