日本人の「過剰適応」こそ、現代社会の象徴だ 池上彰×丸山俊一「資本主義の闇」対談<下>
問題は現代人の「過剰適応」だ
丸山俊一(以下、丸山):『欲望の資本主義2 闇の力が目覚める時』では、答えではなく、問いを共有するという手法をとりましたが、放送後、予想以上に若い方からの反響も数多くありました。経済学に触れたことがないという方から「経済学ってこういう考え方をするものなのか」「いろんな考え方があって面白い」という声が届いたんです。
そういった反響を見ていると、やはり、経済学に限らず、学問体系というものにはある種の「フレーム」があって、時代の価値観が大きな影響を与えているのではないかということをあらためて感じましたね。
近代経済学も、「科学」の力が優勢となる「近代」という時代の潮流の中、社会「科学」として自立することに憧れ、物理学、数学を模倣し成立した体系です。「理論的に破綻がないこと」が時代の価値観として優先され、需要供給曲線を社会現象に当てはめること、「科学」として説明できることが優先されていく……、まさに時代のパラダイムがそうした状況を生んでいたのだと思います。産業社会の時代ならそれでも適合したのかもしれませんが、しかしポスト産業社会になると破たんも見えてきます。
その中で、「前提」を疑うことなく、ただ既成のフレームの中での正解探しをしていていいのか、あまりにも「科学」としての無謬性にこだわることで、結果、過剰適応し自縄自縛になっているのではないか、そのことで無理が生じていないか、という素朴な問いかけもできればと考えました。