日本人の「過剰適応」こそ、現代社会の象徴だ 池上彰×丸山俊一「資本主義の闇」対談<下>
池上:副業を認めるようになっているのはよいことだと思います。本業を使って別の金儲けをするということになるとモラルの問題になりますが、まったく違う仕事をすることによって、本業についても新たな目線で見られるようになるかもしれません。
『欲望の資本主義2』でも、トーマス・セドラチェク、マルクス・ガブリエル両氏が、対談するうちに思いもよらない形で化学反応を起こしたわけですよね。対談が終わっても勝手にふたりだけで話している場面があったりして、彼ら自身にも新しい気づきがあったはずです。やはり、それまで関係のなかった人を会わせるというのが面白いんだと思いますよ。
ビジネスパーソンで言えば、会社のなかでまったく違う業種の人と交流するきっかけを作るというのは、「あり」だと思います。たとえば、営業の人がセールスのことばかりではなく、総務や技術系の人と会って会話するだけでもずいぶん違う。本当は労働組合がちゃんとしていれば、それで済むんですけどね。
6歳の素朴な疑問に立ち返れ
丸山:番組作りに限らず企画開発は、社内ベンチャーでさまざまな異なる要素を掛け算し、どんどん細胞分裂させていくのに似た感覚がありますね。『欲望の資本主義』だけでなく、少し遡りますと、『英語でしゃべらナイト』も英語を介した「異文化」エンタメだったわけですが、『爆問学問(爆笑問題のニッポンの教養)』もそこから細胞分裂した、異と異の組み合わせが狙いでした。
池上:『爆問学問』は面白いですよね。専門の先生が、自分の領域でタコツボ化していたところに、異質な2人がやってきて、素朴なツッコミや質問をされる。それによって「そういえば自分の研究ってなんだったんだろう」と見直していくプロセスが出てくるんですよ。そこがいい。
私がなぜ東京工業大学で教えているかというと、やはりバリバリの理系の学生たちの発想が面白いからなんですよ。こちらは専門の社会科学を話すわけですが、反応が本当にユニークなんです。ある学生が、答案用紙に「池上教授の教え方は偏微分法的である」と書いていて。歴史についてポイントを押さえてエピソードを話しているが、そこから全体の流れが見えてくる、ひとつひとつの傾きから全体の流れが見える、それは偏微分法だと。あ、歴史はそう教えなきゃいけないんだなと、逆に学生から学びましたよ。
丸山:偏微分法、僕も勉強します(笑)。
いまは『人間ってナンだ? 超AI入門』という番組もやっていますが、単にAIについての入門番組ではなくて、AIについて考えることは、すなわち人間の存在そのものを問うことになっていくわけです。前編の対談で池上さんがおっしゃったゴーギャンのお話と一緒ですね。いま、なぜここにいるのか? どこから来てどこへ行くのか? そこがベースにあればどんなものでも繋がってきます。「異端の経済番組」というお話もありましたが、一見エキセントリックな番組作りをしているように見えて、実は本当にオーソドックスで、素朴に原点の問題を考え続けているだけなんじゃないかとも思うんです。
その意味では、6歳ぐらいの子どもの問いをずっと持ち続けていて、それをいろんな人にぶつけてみるということを、愚直に、不器用に、ずっと大人になれないまま考えているのかもしれません(笑)。そういうところにふと立ち返ると、みなさんも世界の見え方、自分自身の見え方がちょっと変わってくるのではないでしょうか。自分自身が抱えている「欲望」というものの作られ方を一歩引いて眺めてみることで、人生を考え直す、立ち止まって眺める余裕を作るきっかけになればと思っています。
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