百合子さんがさまざまな人の死を通じて感じたのは、人間って死ぬときは、あっけないなということだ。明日、自分が死ぬかもしれない。それなら、1分1秒を好きに生きたほうがいい。百合子さんは、今、彼氏がいる。その彼と、旅行に行ったり、セックスをしたりもする。もちろん、元夫はその存在を知らない。知らなくていいこともある、そう感じている。
離婚して初めて夫と対等に向き合えた
ある日、百合子さんは、桜の季節に思い切って、長男夫婦と元旦那を屋形船に招待した。決して安い金額ではなかったが、百合子さんはどうしても自分でそのすべてのおカネを出したかった。会計時に、元夫もおカネを出そうとしたが、今回は、私に出させて――そう言った。「そうか」と少し戸惑いながら、手持ち無沙汰に財布を引っ込めた。
屋形船の船上から、散りゆく満開の桜は、まるでかつての結婚生活の門出のように、はかくなくて、それでいて美しかった。それを、童心に帰ったかのように楽しんでいる元夫を見て、ここに連れてきて良かったと心から思った。
「それができるのは、やっぱり働いて、自立しているからというのが大きいんです。昔は、財布からおカネを出すことすら怖かった。ニンジンを買うにしても、キャベツを買うにしても、これを買ったら、またお父さんに怒られるのかなとつねに怯えていました。『腐らせるだけだろ!』って、いつも怒鳴られてたから。
でも、今は自分で稼いだおカネだから、誰にも文句を言われずに、好きなように使える。離婚することでいちばん犠牲にしたのは子供だと、思います。それは今でも反省しています。だけど、離婚したこと自体は後悔していないんです。元夫とこんな関係になれたのも、離婚したからというのがあるから」
そうしっかりとした眼差しで百合子さんは答えた。今考えれば、結婚しているときは、自分に酔っていたと百合子さんは振り返る。
「結婚は一言で言うと、しんどかった。婚姻届って、たった紙切れ1枚なのに、それにがんじがらめになってしまうんです。結婚で、女は我慢するもの、男の言うことを聞くものって最初から決めてたから。悲しくてもつらくても、実家には戻れなかった。だけど、そんなふうに耐えている自分そのものが、かわいく見えていたのも事実なんです。
『こんなかわいそうな私、でも一生懸命頑張っていて、偉い』って。でも、そんな自分とも、離婚したときにさよならしました。離婚して、家を出て子供は傷ついた部分もあったと思います。でも、私は経済的に自立して、成長できたんです。それは大きい」
DV、モラハラと、結婚生活で地獄を見てきた百合子さんが、離婚で手に入れたのは、自由と自立だ。それは、何物にも代えがたい、かけがえのないものであった。そして離婚によって、皮肉にも初めて元夫と人間として対等に向き合うことができた。今、百合子さんは心底幸せだという。
それを手に入れられたのは、何よりも百合子さん自身が、一歩踏み出す勇気を持ったからだ。その教訓を百合子さんの半生が身をもって教えてくれている。
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