啓介は、関東の工業大学を卒業後、技術開発部門に新卒で入社した、いわば先輩だった。バリバリ仕事ができるところに惹かれて付き合うことになり、あれよあれよという間にプロポーズされた。
飯田橋の東京大神宮で結婚式を挙げ、会社の近くのジャズバーで会社の関係者を呼んで披露宴を催した。幸せの絶頂だった。
「よくある職場結婚だったんですが、結婚したのが21歳で早かったんです。だから、職場の上司には『本当にいいのか?』って、説得されましたね。今思うと、自分でも周りが見えてなかったんです」
しばらくは啓介と同じ職場で働いていたが、会社の経営状態は次第に厳しくなっていった。そのため、百合子さんのみ退職を余儀なくされ、啓介はそのまま同じ会社で働き続けた。そこから、20年余りにわたる百合子さんの専業主婦としての生活が始まった。
地獄の結婚生活の始まり
夫婦生活は順調そうに見えた。2年後に長男が、そして次男、三男と次々と生まれた。
その頃に住んでいた埼玉のアパートが手狭になったことから、横浜市に一戸建てのマイホームを買った。しかし、それは地獄の結婚生活の始まりだった。新しい家に移り住んだ頃から、啓介の様子がおかしくなった。いわゆる、DVとモラハラが始まったのだ。
「私が年下だから、『お前は社会に出て何もわかってないんだから、俺の言うことを聞いていればいいんだから』って、言われ続けましたね。『お前は馬鹿だからと。お前は家にいておとなしくしていればいいんだからって。子供が粗相をすると、お前の育て方が悪いんだ。金属バットを振り回すような子供になるぞ!』とことあるごとに脅されました」
啓介は、自分の「家」と、正しい「家庭生活」に異常なほどにこだわりを見せた。
元夫の両親の職業は教師で、多忙な両親は、啓介の運動会などにほとんど顔を見せることもなかった。そのため、寂しい幼少期を過ごした。そんな両親を憎んでいた啓介は、まるでそれを反面教師にするといわんばかりに、百合子さんがつねに家にいる、正しい母であることを望んだ。特に家へのこだわりは異常なほどだった。
「部屋の壁に手をついて歩くなって言うんです。壁に手をつくと、汚れがつくから嫌だって言うの。だからなるべく壁に手はつかないように、生活していました。自分たちの家なのに、つねにビクビクして生活していましたね」
ある日、友人からビーズの手作りのアクセサリーが送られてきた。段ボールのまま机に置いていたら、庭で焼かれて、燃えカスになっていた。
「つらくて声も出なかったですね。人間って、あまりにつらいときは、声すら出なくなるんだなって思いました。自分の部屋なんてないから、悔しくて、悲しくて、キッチンで一人で泣いていました」
母親からもらった長男の入学祝いも啓介によって燃やされた。テーブルの上に封筒を置いていると、「机が散らかってるぞー!」と怒鳴り散らし、そのまま同じように庭で火をつけられた。
「おカネなんて、あッという間にメラメラ燃えて、灰になるんです。そのときもすごく恨みましたね。母の気持ちを思うと、切なくて悔しくて、もうどうしようもなかった」
マイホームは、啓介にとって、ようやく手に入れた自分の城――。城の王様である啓介は、城に奴隷たちの私物があることが気に入らなかったのだ。ブーツやサンダルなどの靴も気がつくと、物が多いとの理由で、庭でいつの間にか燃やされている。そんな日々が続いた。
さらに、啓介は九州男児で田舎育ちとあって、とにかく野菜の鮮度や味には異様に敏感だった。
「2日くらい経った野菜に、『何年物のナスなんだ?』と罵倒するんです。おかずを作っても、『こんなの家畜が食べるんじゃねぇぞ!』と、すべてけなされるんです。そのたびにドキドキして、胸の動悸が止まらなくなる。なに?また何か私やったの?と委縮してしまうんです」
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