パナ伝説のエンジニアが語るイノベーター論 特許件数1300件、ライセンス収入は380億円
そうして身につけた知識のうちのひとつが、「振動ジャイロ」だったんです。
発明したのは「2番目の出口」
石川:ジャイロセンサーといえば、いまやスマホやカーナビには必ず入っているデバイスですが、それを開発したのが、なんと大嶋さんというわけですね。
大嶋:はい。振動ジャイロの原型は1950年にアメリカで開発されていますが、安定性が悪かった。そこで私は、1980年に改良発明をしたんです。この時は、カーナビ用のセンサーとして振動ジャイロ技術を生かせると考えました。ただ、思ったほどうまくは行かなかったんです。なぜなら、15年後の1995年にGPSが民生用に開放されるまで、カーナビ自体の市場がなかったからです。つまり、出口がなかったのです。
石川:それでどうされたんですか?
大嶋:傷心旅行に行きました(笑)。
石川:なんと(笑)。
大嶋:友人と3人でハワイへ行ったんです。レンタカーを借りて5日間ドライブをしました。その旅に、当時はまだ珍しかった大きなビデオカメラを会社から借りて、友人が撮影をしました。友人は、ドライブ中にも撮影をしているのですが、「手ぶれする」ってうるさいんです。
旅も終わりに近づいたころ、あることに気がつきました。彼は腰を軸にして回転していたんです。手ぶれって一見、上下運動に思えるし、私もそう思っていたのですが、一度回転だとわかると「ジャイロが使える!」とひらめきました。ジャイロは、空間における回転を検知するセンサーですからね。「自分が一度失敗した技術が使える」とひらめき、ひらめいたら1秒で答えが出ました。
石川:1秒で!
大嶋:はい。1秒で手ぶれ問題を解決する原理を思いつきました。それが、いま実用化されている「手ぶれ補正」技術です。前の仕事がリンクして、発明が生まれたわけです。そういう意味では観察力の勝利でした。手ぶれ補正ではいろいろな賞をもらいましたが、結局私は何を発明したのかというと、「2番目の出口」を発明したのだといえます。
石川:なるほどぉ。では、振動ジャイロと手ぶれ補正がつながり、それが事業化するまではどういう流れだったのでしょうか?
大嶋:その後、事業化するまでには6年かかりました。企業というのは通常、3年くらいしかプロジェクトをやらせてくれないものです。でも実際に事業化するには、3年を1クールとするならば、3クール必要です。
石川:どういうことでしょうか?
大嶋:最初の1クールでは「ゼロからイチ」を生み出し、次は「イチから10」をやり、3クール目で「10を1000や1万」にする、つまりは事業化するという流れです。そうやって9年単位でものごとを考え、9年先を見据えていくことがイノベーションにつながります。
その際重要になってくるのが出口戦略です。入口のイノベーションは、時期はいつでもいいんです。偶然生まれるから、タイミングというものはない。でも、出口はタイミングが大事です。早くても遅くてもダメ。これからイノベーションを起こそうという人は、入口と出口の見極めを心がけた方がいいと思います。
もちろん、入口の素性がいいことが大事です。入口の素性が悪い場合は、出口も大きくなりません。今やっている「光ID(リンクレイ)」は、私としては技術の素性はいいと思っています。現状では年間数億円の売上げですが、もし、いい出口が見つかれば、年間数百億円の事業に大化けする可能性を秘めていると思います。