パナ伝説のエンジニアが語るイノベーター論 特許件数1300件、ライセンス収入は380億円
石川:手ぶれ補正のほかに、入口には失敗したけれど、出口戦略で成功したという事例はありますか?
大嶋:たとえばゲーム関連でしょうか。具体的には「ゲーム用光ディスク技術」の発明です。当初はアーケードゲーム用に事業化したのですが、年商数億円でした。しかし、数年後に家庭用ゲーム機に出口を変えたことで、結局、関連事業も含めると、累計で1千億円を超える営業利益をもたらしました。
石川:逆に、入口の素性はよかったけれど、出口に失敗した例もあるのでしょうか?
大嶋:失敗例ももちろんありますよ。
大嶋:たとえば1985年に私のチームで発明した「CD-R」です。当時はオーディオ向けの用途を想定していたのですが、早すぎました。その後CD-Rはデータ記録用のニーズが発生し、他社が成功しています。このテーマは、出口のタイミングを3年遅らせれば成功したかもしれません。
「省電力CPU」にしても、社内での事業化には失敗し、米国の大手半導体メーカーに採用されました。まあこちらは、特許ライセンス料で数十億円ほど稼ぎましたが。
「ソーシャライズしてはダメだ」とアラン・ケイは言った
石川:それにしても、いろいろな技術領域で既成概念をディスラプトするような発明を行える秘訣は、どこにあるのでしょうか? 若いころから「世界初か世界一じゃなければダメだ!」と教え込まれたからでしょうか? あと、「左遷」時代に図書室で勉強したことも大きいのかもしれませんが。
大嶋:1988年に(パーソナルコンピューターの父とも言われる)アラン・ケイと会う機会があったのですが、そのとき彼は、「ソーシャライズしたらダメだ」と語っていました。「会社に入ってどんどん教育されていくのだけれど、それによって視野が狭くなってしまう」と。以来、上司の言うことを聞かなくなりました(笑)。
石川:あはは(笑)。
大嶋:あと、時代に恵まれていたということもあります。TV放送のデジタル化は1995年くらいでしたし、今も、自動車のAI化やEV化が急速に進んでいるじゃないですか。そうした100年に一度と言ってもいい転換期にたまたま居合わせていること自体、ついているといえばついている。私としては、そこに飛び込んで挑戦しているにすぎません。
あっ、ここでひとつ自慢をしてもいいですか(笑)?
石川:どうぞどうぞ(笑)。